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国旗 訪問者数( - )人 合計 - 人 最終更新日 2023年11月05日 国歌 + ... (前奏) 我等がるいるい帝国は懲罰する! アメリカから中国の、果てに至るまで 世界中のすべてで称え歌うのだ るいるいを、Genを偉大なるるいるい帝国を! 世界中の国家が支配下にいる! 我々は世界を征服するのだ! 降伏して待っているがいい 悪を滅する我等の鉄槌に 世界中の国家が支配下にいる! 我々は世界を征服するのだ! 我等に支配されろと祈っているがいい 悪を滅する我等の鉄槌に 我々るいるい帝国は動いている! 日々、どこかで戦っている! 主を失った労働者を 日々、我々に引き込んでいく 我々るいるい帝国は動いている! 日々、どこかで戦っている! 主を失った労働者を 日々、我々に引き込んでいく! 情報 国名 ruirui帝国 略号 REP 元首 ruirui 人口 12万人 軍 2万人 イデオロギー ファシズム 軍備 陸軍 + 陸軍の一覧 RUI=EMPIRE MK2 部品 BIGGUARD LAFS-MK1 7.5 cm RRR 40 WAC LIGHT HBSA-2A01 GRAY(塗装色) 海軍 + 海軍の一覧 研究中... 空軍 + 空軍の一覧 研究中... ruirui帝国研究室 + 今の研究 陸軍 + ... 現時点研究 銃 + ... キャタピラ + ... BASIC-CAT(RRR社) これは、主にMK1などの戦車のキャタピラです。 catは、キャタピラの略のようです。 BIGGUARD(RRR社) BIGGUARDは、MK2に搭載されたキャタピラです。 タイヤに傷がつかないように守るという意味で名前が付けられました。 + タイヤ LAFS-MK1(FOCUS社) LAFS-MK1は、非常に便利なタイヤである。 FOCUS社が作り上げたこのタイヤは、強度もあった。 LAFSは LIGHT・AND・FAST・SPEEDの略。 HEAVY FR(FOCUS社、RRR社) 共同開発したタイヤ。 HEAVYは、その名の通りヘビーなタイヤ、MK2に使われている。 サイズがLAFS-MK1より一回り大きく、重戦車向け。 FRは、FOCUS RRRの略。 主砲 + ... 7.5 cm KwK 40(独、クルップ、ラインメタル) 独から輸入した戦車砲。 MK1によく使われていた。 7.5 cm RRR 40(RRR社) MK2に使われている戦車砲である。 長さを調節し、遠い敵にも当てられる便利な戦車砲。 専用の爆発弾がある。 エンジン + ... WAC LIGHT(FOCUS社) WAC LIGHTは、るいるい帝国史上初のエンジンである。軍事革命はこれが原因だと思われている。 MK1、MK2に搭載されている。 WACは、WATER・AIR・COOLERの頭文字をとったもの。 装甲、本体 + ... 装甲、本体用語 HBSA heavy big special armor。 HBSA-1A01(GEN社) この本体、装甲は頑丈な装甲を持ち、高コストだが弾丸をも通さない装甲が取り付けられた戦車本体だ。 当初DEMON-1A01という異名を持っていた。 HBSA-2A01(GEN社) このHBSA-2A01は、1A01型を低コストに実現した。 1A01でのデメリットとして大きかった "鉄を沢山使っているため、移動速度が遅くなる。" というデメリットを解決した。軍事革命一番の出来事である。 PHOENIX 01(RRR社) RRR社がRUI=PHOENIX(戦車)のために作ったもの。 当初は評判があまり良くなかった。 塗装、迷彩 + ... CMF-MK1(gen社、PAINT-R社) CMF-MK1は、迷彩柄の塗装となっております。MK1、MK2共にこの塗装が使用されています。 会社等 + ... RRR社 RRR社は、戦車の部品を開発する会社である。 + 作ったもの 7.5 cm RRR 40 BASIC-CAT BIGGUARD HEAVY FR(共同) PHOENIX 01 FOCUS社 FOCUS社は、内部部品等を開発する会社である。 + 作ったもの WAC LIGHT LAFS-MK1 HEAVY FR(共同) GEN社 非常に頑丈な装甲を作る会社。 + 作ったもの HBSA-1A01 HBSA-2A01 CMF-MK1(共同) PAINT-R 迷彩などの塗装をする会社。 + 作ったもの CMF-MK1(共同) 所属・締結同盟 同盟なし 同盟国 その他リンク ニコニコ動画マイリスト ニコニコ静画クリップ YouTubeチャンネル コメント スカーレット王国、の外交代表としてきました。レイゼンスレイ・スカーレットです。 -- レイゼンスレイ・スカーレット (2023-10-03 16 56 14) 国交と条約を結びに来ました -- レイゼンスレイ・スカーレット (2023-10-03 16 56 42) どんなものかね? -- ruirui (2023-10-08 22 29 10) 名前 コメント
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まいくら
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この茶番はあらかじめ用意されているストーリーに基づいて進めます 大東方帝國内戦とはその名の通り大東方帝國内で発生した内戦である。 徐々に力をつけていた東方帝国連邦を名乗る反乱軍が各地でテロを起こし、全軍が国外逃亡を余儀なくされた戦争である 反乱軍である東方帝国連邦に関する情報は大東方帝國を参照してください ルール(これ忘れんなや総統・・・) TNTキャノンやFC機銃、HACミサイルは以下の通りに置き換えたください。 元 変換後 TNTキャノン ○○cm砲or○○mm砲 FC機銃 ○○mm機銃or○○mmバルカン HACミサイル 対艦ミサイル、対空ミサイル、巡航ミサイルなど 平日は戦術フェイズ(戦闘)のみになります 休日にこれに加え戦略フェイズ(作戦会議等)を行います 情勢 ついに反乱軍を一気に叩く作戦が開始、 全軍がミッドウェイ沖に集結し、合図を待っている。 祖国解放への狼煙がついに上がったのである。 進行方法 前述の通りあらかじめ用意されたストーリーに基づいて進めます 参戦国の行動によりストーリーに変化が発生します。 積極的に行動し、参戦勢力側を勝利に導いてください! 終戦パターン(いわゆるエンディング)は複数用意するつもりです。(企画終了後、残りパターンも一応公開します) 参加国 募集中です(途中参加も可) skype→iwaoandarsまで連絡をください 参戦目的を言ってもらえれば参加が可能です 大東方帝國(正規軍側) 国名 代表者(敬称略) 参戦目的・理由 大東方帝國 アルス・スカーレット 祖国の解放 扶桑帝国 猫 兵器の効果調査、情勢の安定化 アースラン国 サミュハルート 救援要請受諾 大ブリテン連邦共和国 mcnezha25 情勢の安定化、世界征服の阻止 東方帝国連邦(反乱軍側) 国名 代表者(敬称略) 参戦目的・理由 東方帝国連邦 スカーレット政権の転覆、世界大統合 両軍を支援 国名 代表者(敬称略) 参戦目的・理由 進行状況 2017/05/07 大東方帝國内戦が本格化、総統自ら世界に救援要請 同時期に反乱軍側が世界各国に参戦を求める声を上げた(2017/05/09追記) 2017/05/27~28 大東方帝國第一艦隊、敵機の攻撃を受け壊滅状態に 2017/06/10 二箇所の海戦が終了、正規軍側が反撃行動に出る 2017/07/1~2017/07/07 各国海軍がミッドウェイ沖に集結、決戦に向け準備を開始 2017/12/04 終戦 ギャラリー 2017/05/27 日本近海 ▲敵機の爆撃を受け大破炎上する戦艦「春藍」 この後、弾薬庫に引火し大爆発を起こした なお、この戦闘で撃墜した敵機の残骸を回収したところ電波吸収塗料が塗られていることが判明 夜の濃霧の上にステルス爆撃機という最悪の組み合わせになすすべも無く第一艦隊はほぼ壊滅する被害を受けた 沈没 戦艦「春藍」 巡洋戦艦「伊吹」 大破 戦艦「博麗」 戦艦「河城」 戦艦「三雲」 戦艦「三笠」 中破 戦艦「南雲」 戦艦「東雲」 戦艦「敷島」 巡洋戦艦「生駒」 小破 戦艦「八雲」 戦艦「山城」 重巡洋艦「赤石」 重巡洋艦「飯豊」 2017/05/28 日本内陸部 ▲対戦車地雷を踏み、大破した大ブリテン連邦共和国陸軍の軽戦車及びアースラン国防陸軍の主力戦車。 パトロール任務中に対戦車地雷を踏んでしまった模様。軽戦車の砲塔が激しく損傷しているのが確認できる。 なお日本中が地雷だらけになっている可能性があり警戒が必要である 2017/05/28 日本近海 ▲通商破壊のため潜行中の潜水艦「シーアン」 アースラン国は潜水艦による通商破壊を行い、東方帝国連邦の物資を絶つ作戦に出た。 2017/05/31 日本近海 ▲一瞬にして撃沈された駆逐艦 大東方帝國第七艦隊が和歌山沖を航行中、突如魚雷を受けたとのこと 潜水艦の発見情報は無いが反乱軍は潜水艦を投入している可能性が高いこととなった アルス・スカーレット「どこかの狼がやりやがったんだ・・・」 沈没 駆逐艦「山風」 駆逐艦「浦風」 駆逐艦「磯風」 駆逐艦「浜風」 駆逐艦「天津風」 駆逐艦「時津風」 2017/06/01 日本近海 ▲誘導弾で攻撃を行う大ブリテン連邦共和国の無人攻撃機 ▲早朝に発見されたデストリア級重巡洋艦 ▲魚雷が直撃したデストリア級重巡洋艦 午前0時ごろ、大ブリテン連邦共和国の無人攻撃機が敵重巡洋艦に誘導弾を一発発射、エンジンに命中し大破させた 敵重巡洋艦は逃走を図ったが早朝に大東方帝國第13艦隊に発見された 駆逐艦「紅月」が放った魚雷2本が直撃し敵重巡洋艦は沈没した 2017/06/02 日本内陸部 ▲敵陣地に砲撃する大ブリテン連邦共和国陸軍の自走砲 この攻撃により敵陣地は崩壊、敵歩兵隊は撤退を余儀なくされた 2017/06/02 日本上空 ▲敵機を追跡するRSTF-1A2(オリエント艦載機) ▲右翼が見事に折れた敵重爆撃機 敵の重爆撃機が扶桑帝国に向かって発進したと緊急電が入り即座に大東方帝國第3艦隊は航空隊を発艦させ迎撃に当たった 長野上空で敵機を発見しそのまま追跡し攻撃を開始、敵機は見事に全滅。東京大空襲の惨劇は未然に防がれたのであった 2017/06/03 カナダ北洋・大ブリテン連邦共和国領 ▲雨の中出港して封鎖に向かう大ブリテン連邦共和国艦隊 敵機動部隊の足止めを行うべく出港した 順調に行けば大東方帝國第5艦隊と共に敵機動部隊を挟み撃ちにする予定である。 2017/06/04 日本近海 ▲敵潜水艦の拿捕に成功した大東方帝國第13艦隊 大東方帝國第13艦隊は敵潜水艦U495を拿捕した。 この潜水艦は調査を行った後大東方帝國に配備予定である 2017/06/04 カナダ北洋・大ブリテン連邦共和国領 ▲対空砲をかいくぐり全武装を重巡に浴びせるA-3 Hailstorm ▲空母「マーガトロイド」から発艦するRSTF-1A2 ▲大破炎上する空母「エンタープライズ」 敵主砲弾のほかに航空爆弾を大量に受けたのもよく分かる。このせいで被害担当艦と呼ばれるようになってしまった 敵機動部隊は攻撃をかいくぐり防衛線を突破 その後艦載機でロンドン市を無差別爆撃、市民が大勢犠牲になった 遅れてやってきた大東方帝國第5艦隊は直ちに敵艦隊に攻撃を開始 旧式の空母を囮として敵空母を丸裸にした 丸裸の敵空母はなすすべも無く次々と轟沈していき、敵艦隊は逃走を開始 そして20 30頃、敵艦隊は闇夜に消えてしまった・・・ その後、敵の潜水艦が牙をむき、大東方帝國第5艦隊の被害は余計に増えてしまった 防衛作戦は失敗としか言いようが無かった・・・ 被害状況 沈没 正規空母「青龍」 巡洋戦艦「鞍馬」 正規空母「朱雀」 大破 正規空母「エンタープライズ」 巡洋戦艦「妙義」 正規空母「玄武」 正規空母「白虎」 正規空母「紅」 中破 駆逐艦「幻月」 駆逐艦「夢月」 駆逐艦「秋月」 小破 正規空母「マーガトロイド」 駆逐艦「紅月」 ロンドン市、死者行方不明者数 700万以上 2017/06/07 タスマン海 ▲46cm砲で攻撃する戦艦「八雲」 ▲防空任務に就くSa-13戦闘機 ▲大東方帝國第13艦隊と合流するために航行するレイナ・サミュハルート王女直轄艦隊 ▲艦対艦ミサイルで大東方帝國第3艦隊を援護するアースラン国潜水艦 ▲対潜ミサイル発射のDDG-13ホバート ▲艦対艦ミサイルで攻撃する戦艦「八雲」 大東方帝國第13艦隊は総統閣下を乗せた戦艦「八雲」を護衛しアースラン国に向かっていたが事態は急変、駆逐艦「如月」が敵艦隊を発見してしまったのである 直ちに戦闘開始、アースラン国艦隊も戦列に加わった 大東方帝國第3艦隊も合流したがほぼ役立たずであった。そう、戦艦「八雲」が敵艦を次々に沈めていくため出番がないのである 大東方帝國第13艦隊と合流したレイナ・サミュハルート王女直轄艦隊は潜水艦狩りで力を発揮し、Uボートを次々に撃沈した しかし本土空襲を許してしまい防衛作戦自体は失敗してしまった。 その上沈めても沈めても敵は艦隊を投入して来るため手に負えない状況となってしまった。 これ以上被害を出すまいと戦闘は続いている 被害状況 2017/06/07 沈没 駆逐艦「如月」 大破 戦艦「スカーレット」 戦艦「薩摩」 戦艦「ザラ」 巡洋戦艦「稲荷」 巡洋戦艦「千歳」 正規空母「オリエント」 正規空母「ハーミーズ」 正規空母「フューリアス」 正規空母「カレイジャス」 正規空母「アークロイヤル」 駆逐艦「皐月」 駆逐艦「菊月」 駆逐艦「長月」 中破 戦艦「アズラエル」 正規空母「グローリアス」 航空巡洋艦「御嶽」 航空巡洋艦「恵那」 航空巡洋艦「大嶺」 航空巡洋艦「石鎚」 小破 2017/06/08 大東方帝國 沈没 大破 駆逐艦「雪月」 中破 小破 アースラン国 沈没 駆逐艦「スチュアート」 フリゲート「ミルウォーキー」 大破 フリゲート「インディアナポリス」 フリゲート「ウィチタ」 フリゲート「リトルロック」 中破 小破 都市の被害 死者4300、行方不明532、負傷者8700 2017/06/24 大ブリテン連邦共和国 ▲アルス・スカーレット総統を乗せた装甲車とそれを護衛する旧式主力戦車 ▲東方帝国連邦の意志につられた大ブリテン連邦共和国民がIEDを使用したテロによって大破した装甲車 大統領府へ向かい会談を行う予定だったが11 27に東方帝国連邦の意志につられた大ブリテン連邦共和国民がIEDを使用し、アルス・スカーレット総統を乗せた装甲車を破壊、総統閣下と護衛の兵士数名が負傷した。 襲撃してきた者数名は拘束された。 負傷兵及び総統はIFVに移り移動を再開した。 2017/07/15 日本近海 ▲上部構造物が壊滅し、傾斜を生じている巡洋艦「フェイ」 ▲上甲板が壊滅した正規空母「エンタープライズ」 ▲巡洋艦「フィンレイ」を追い越す戦艦「八雲」 ▲ミサイル艇「ダミアン」に衝突した駆逐艦「電」 00 00についに作戦は開始された しかし、艦隊が哨戒機に発見された上に敵直掩機が奮戦、正規軍側は完全に航空戦で不利であった だが、予定通り戦艦隊の突入は行われた。そして戦艦「八雲」は機関にブーストをかけ一時的に36ktを発揮し巡洋艦「フィンレイ」を追い越し、全軍に衝撃を与えた 海戦は大混戦となり、駆逐艦「電」がミサイル艇「ダミアン」に衝突し、沈没させてしまうという事態も発生した 敵艦載機隊の猛攻は続き、制空権を完全に喪失した。 その後、沈没や大破が相次ぎ戦闘は完全に流れを握られた状態になってしまった 大東方帝國 午前 沈没 大破 巡洋戦艦「生駒」 戦艦「紀伊」 重巡洋艦「浅間」 正規空母「白虎」 正規空母「玄武」 駆逐艦「幻月」 正規空母「エンタープライズ」 中破 小破 巡洋戦艦「稲荷」 巡洋戦艦「千歳」 午後 沈没 大破 戦艦「博麗」 戦艦「三笠」 戦艦「河城」 戦艦「東雲」 戦艦「信濃」 戦艦「尾張」 巡洋戦艦「妙義」 戦艦「薩摩」 戦艦「播磨」 重巡洋艦「飯豊」 駆逐艦「涼月」 中破 駆逐艦「電」 小破 駆逐艦「霧雨」 駆逐艦「菊月」 駆逐艦「結月」 大ブリテン連邦共和国 沈没 軽空母「イーモン」 フリゲート「アビエル」 フリゲート「アブナー」 ミサイル艇「ダミアン」 ミサイル艇「ダリウス」 巡洋艦「ファーガス」 巡洋艦「ベイル」 大破 巡洋艦「フェイ」 中破 小破 2017/07/16 日本近海 ▲被雷した巡洋艦「バップ」 ▲浸水が拡大し沈没する巡洋艦「バップ」 海戦二日目は完全に流れを握られたまま進んでいた 大東方帝國、大ブリテン連邦共和国両軍は壊滅的被害を受け戦力の半数以上を失った しかし20 17、敵は慢心し空母を前線に出してしまったのである この隙を突き、全軍でミサイルの飽和攻撃を行い敵空母はすべて戦闘能力を喪失した 残るは戦艦、巡洋艦のみとなった しかし、圧倒的戦力差を前に大東方帝國の戦艦はほとんどが戦闘不能でありまだ有利とはいえない状態であった だが、ここまでアースラン国の艦隊はまったく被害を受けておらず、大東方帝國の駆逐艦もほぼ健在であった。 ここで総統は「全駆逐艦に告ぐ、魚雷戦用意!」と命令を下した 大東方帝國 沈没 正規空母「白虎」 正規空母「玄武」 正規空母「紅」 大破 戦艦「山城」 戦艦「大和」 戦艦「敷島」 戦艦「南雲」 中破 小破 大ブリテン連邦共和国 沈没 フリゲート「エイブラム」 ミサイル艇「データス」 巡洋艦「バップ」 大破 中破 小破 2017/07/17 日本近海 ▲デストリア級重巡洋艦に接近する酸素魚雷 大東方帝國の駆逐艦は大活躍でした。 ▲戦艦「八雲」の砲撃によって真っ二つになったデストリア級重巡洋艦 ここでも八雲はその性能を最大限発揮できた。同型艦はすべて漂流しているという有様だが。 ▲至近距離で主砲を敵艦に主砲を撃ちこむ戦艦「八雲」 なお「八雲」は無傷。大型戦艦でありながら異能生存体である。 ▲最後の改春藍型航空戦艦との一騎打ちをする戦艦「八雲」 これでも「八雲」は全くの無傷であった。 海戦3日目は完全に正規軍側に利があった。 そして駆逐艦隊は一気に魚雷を放ち次々に敵艦を海の底に沈めた。 唯一戦闘可能だった戦艦「八雲」は無謀にも至近距離での砲撃戦を敢行、次々に敵艦を撃沈した。 大ブリテン連邦共和国の残存艦隊は、ミサイルによる支援攻撃を行い、こちらのいくらか戦果を挙げた。 「八雲」が敵旗艦を撃沈、敵艦隊司令は戦死。敵艦隊は投降し、空前絶後の大海戦は幕を閉じた。 2017/12/04 帝都 ▲総統府に突入した陸戦部隊 不思議なことに敵の抵抗はまったく無くすんなりと総統府に突入できた あろうことか最上階で首謀者の遺体を発見、 戦争はすでに終わっていたのだ・・・ だが、これにより内政に空白が生まれた大東方帝國は国内が完全に混乱してしまった それに、本当に恐ろしいのは首謀者ではなく国民かもしれない・・・ 戦闘ログ 2017/05/27 日本近海 +... 22 37 天候 濃霧 大東方帝國第一艦隊、突如敵機の攻撃を受ける 22 45 天候 濃霧 戦艦「春藍」大破 22 55 天候 濃霧 戦艦「博麗」大破 22 59 天候 濃霧 戦艦「春藍」弾薬庫引火沈没 23 12 天候 濃霧 戦艦「河城」大破 23 18 天候 濃霧 戦艦「三雲」大破 23 30 天候 濃霧 戦艦「三笠」大破 23 45 天候 濃霧 巡洋戦艦「伊吹」大破 23 55 天候 濃霧 巡洋戦艦「伊吹」弾薬庫引火沈没 23 59 天候 濃霧 敵機撤退 2017/05/28 日本内陸部 +... 20 05 天候 晴れ 大ブリテン連邦共和国陸軍の軽戦車及びアースラン国防陸軍の主力戦車がパトロール任務中に対戦車地雷を踏み双方とも破壊される 2017/05/31 日本近海 +... 08 15 天候 晴れ 突如魚雷攻撃を受け駆逐艦「山風」「浦風」「磯風」「浜風」「天津風」「時津風」が沈没 2017/06/01 日本近海 +... 00 15 天候 晴れ 大ブリテン連邦共和国の無人攻撃機がデストリア級重巡洋艦に誘導弾で攻撃を行いエンジンに命中、大破させる 04 35 天候 晴れ 大東方帝國第13艦隊が大破したデストリア級重巡洋艦を発見、駆逐艦「紅月」が魚雷攻撃を敢行 04 37 天候 晴れ デストリア級重巡洋艦撃沈 2017/06/02 日本内陸部 +... 15 27 天候 晴れ 大ブリテン連邦共和国陸軍の自走砲が、敵歩兵陣地に砲撃、見事に陣地破壊に成功し、敵部隊は撤退を余儀なくされた 2017/06/02 日本上空 +... 21 45 天候 晴れ 敵の重爆撃機が扶桑帝国に向かって発進したと緊急電が入る 21 46 天候 晴れ 東京湾で待機中の大東方帝國第3艦隊の空母「オリエント」「フューリアス」「グローリアス」「カレイジャス」「ハーミーズ」「アークロイヤル」が航空隊を発艦させる 22 05 天候 晴れ 長野上空で敵機を発見、即座に攻撃し殲滅に成功する 2017/06/03 日本近海~太平洋上 +... 08 45 天候 雨 敵機動部隊がアースラン国及び大ブリテン連邦共和国に向かったと緊急電が入る 08 47 天候 雨 大東方帝國第3艦隊がアースラン国方面に向けて出撃、同第5艦隊が大ブリテン連邦共和国方面に向けて出撃 16 51 天候 晴れ 大東方帝國第3艦隊がアースラン国方面の敵機動部隊を補足するも速力が足りず取り逃がす 21 11 天候 晴れ 大東方帝國第5艦隊が大ブリテン連邦共和国方面の敵機動部隊を補足するも速力が足りず取り逃がす 2017/06/03 カナダ北洋・大ブリテン連邦共和国領 +... 08 45 天候 雨 大ブリテン連邦共和国本国艦隊が海上封鎖を開始 2017/06/04 日本近海 +... 20 05 天候 晴れ 大東方帝國第13艦隊が敵の潜水艦を発見、戦闘を開始 20 09 天候 晴れ 敵潜水艦に爆雷が命中、小破させる 20 10 天候 晴れ 敵潜水艦が浮上したところを拿捕、東京湾まで回航した 2017/06/04 カナダ北洋・大ブリテン連邦共和国領 +... 07 22 天候 晴れ 大ブリテン連邦共和国攻撃機A-3 Hailstormが敵艦隊と交戦を開始 08 37 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 10 49 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 12 19 天候 晴れ 敵機動部隊防衛線突破、本土空襲を開始 13 15 天候 晴れ 敵機がロンドン市を無差別爆撃、市民に大勢の犠牲者が出る 14 01 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 18 05 天候 晴れ 大東方帝國第5艦隊到着、戦闘開始 18 11 天候 晴れ 旧式空母を囮に敵護衛艦隊を引き剥がすことに成功、敵空母は丸裸に 18 20 天候 晴れ 正規空母「マーガトロイド」及び「エンタープライズ」より航空隊発艦 18 46 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 18 55 天候 晴れ 敵空母撃沈 19 21 天候 晴れ 敵空母撃沈 19 22 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 19 29 天候 晴れ 正規空母「青龍」大破 19 33 天候 晴れ 敵戦艦がエンタープライズを砲撃、正規空母「エンタープライズ」大破、艦載機着艦不能に、艦載機はエディンバラ州飛行場に着陸 19 40 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 19 41 天候 晴れ 巡洋戦艦「妙義」大破 19 44 天候 晴れ 敵空母撃沈 19 57 天候 晴れ 敵空母撃沈 19 59 天候 晴れ 正規空母「玄武」大破 20 01 天候 晴れ 敵空母撃沈、正規空母「青龍」沈没 20 02 天候 晴れ 正規空母「白虎」大破 20 03 天候 晴れ 敵空母撃沈、正規空母「紅」大破 20 06 天候 晴れ 敵空母撃沈 20 11 天候 晴れ 敵艦隊逃走を開始 20 17 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 20 27 天候 晴れ 敵戦艦の砲撃が巡洋戦艦「鞍馬」の主砲塔を貫通、巡洋戦艦「鞍馬」爆沈 20 30 天候 晴れ 敵艦隊を見失う 22 33 天候 晴れ 突如魚雷攻撃を受け正規空母「朱雀」沈没(潜水艦の仕業) 2017/06/07 タスマン海 +... 10 11 天候 晴れ 大東方帝國第13艦隊駆逐艦「如月」が敵艦隊を発見、戦闘開始 10 13 天候 晴れ 敵空母より艦載機発進、アースラン国航空隊防衛出動 10 45 天候 晴れ オークランド、被害甚大 10 47 天候 晴れ 第13艦隊は交戦しつつアースラン国へ直進、第3艦隊、敵艦隊と交戦開始、航空隊発艦 10 49 天候 晴れ アースラン国本国の潜水艦から艦対艦ミサイルで第3艦隊を援護、残存艦艇を集結させ敵艦隊へ 10 58 天候 晴れ ウェリントン被害甚大 11 00 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵戦艦の砲塔を貫通、爆沈させる 11 01 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 11 02 天候 晴れ 敵空母に戦艦「八雲」の対艦ミサイル直撃、地獄絵図に。その後爆沈 11 09 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵戦艦の砲塔を貫通、爆沈させる 11 19 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵戦艦の砲塔を貫通、爆沈させる 11 27 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵戦艦の砲塔を貫通、爆沈させる 12 05 天候 晴れ 大東方帝國第13艦隊とレイナ・サミュハルート王女直轄艦隊合流 12 10 天候 晴れ 敵艦隊増援出現 12 14 天候 晴れ Uボートの魚雷が八雲を襲うも突き刺さって不発 12 17 天候 晴れ 敵空母撃沈 12 19 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵空母に直撃、爆沈させる 12 20 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 12 23 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵空母に直撃、爆沈させる 12 30 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 12 45 天候 晴れ 敵艦隊増援出現 12 55 天候 晴れ 戦艦「スカーレット」大破 13 10 天候 晴れ 正規空母「オリエント」大破 13 25 天候 晴れ 戦艦「薩摩」大破 13 33 天候 晴れ 敵艦隊増援出現 13 55 天候 晴れ 敵艦隊増援出現 14 11 天候 晴れ 巡洋戦艦「稲荷」大破 14 12 天候 晴れ 巡洋戦艦「千歳」大破 14 15 天候 晴れ 戦艦「ザラ」大破 14 17 天候 晴れ 正規空母「アークロイヤル」大破 14 21 天候 晴れ 戦艦「八雲」の対艦ミサイルが敵空母に直撃、爆沈させる 14 22 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵戦艦の砲塔を貫通、爆沈させる 14 29 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵戦艦の砲塔を貫通、爆沈させる 14 33 天候 晴れ 戦艦「八雲」砲弾が敵戦艦の砲塔を貫通、爆沈させる 14 34 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 14 37 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 14 40 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 14 41 天候 晴れ 正規空母「ハーミーズ」大破 14 44 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵空母に直撃、爆沈させる 14 49 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵空母に直撃、爆沈させる 14 51 天候 晴れ 正規空母「フューリアス」大破 14 55 天候 晴れ 正規空母「カレイジャス」大破 14 59 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵空母に直撃、爆沈させる 15 02 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵空母に直撃、爆沈させる 15 05 天候 晴れ 大東方帝國第3艦隊戦線離脱 15 19 天候 晴れ 大東方帝國第6艦隊が到着、戦闘開始 15 35 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 15 47 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 15 55 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 16 15 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 16 29 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 16 38 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 16 50 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 17 15 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 17 29 天候 晴れ 戦艦「八雲」の砲弾が敵空母に直撃、爆沈させる 17 36 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 17 59 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 18 22 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 18 49 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 19 00 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 19 31 天候 晴れ 第14艦隊より駆逐艦「五月雨」が行方不明になったと連絡が入る 19 32 天候 晴れ アースラン国、第3沿岸警備隊の掃海艇とヘリコプターが捜索のために出撃 19 44 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 19 57 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 20 15 天候 晴れ 敵重巡洋艦撃沈 20 19 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 20 29 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 20 50 天候 晴れ 駆逐艦「如月」爆沈 21 29 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 21 35 天候 晴れ 敵空母撃沈 21 49 天候 晴れ 大東方帝國第14艦隊が到着、戦闘開始 21 59 天候 晴れ 駆逐艦「皐月」大破 22 10 天候 晴れ 駆逐艦「菊月」大破 22 26 天候 晴れ 駆逐艦「五月雨」が座礁した状態で発見される 22 30 天候 晴れ アースラン国掃海艇が駆逐艦「五月雨」の牽引を試みる 22 39 天候 晴れ 大東方帝國第8、9、10、11艦隊が到着、戦闘開始 22 50 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 23 12 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 23 50 天候 晴れ 駆逐艦「長月」大破 戦闘続行 2017/06/08 タスマン海 +... 00 12 天候 晴れ 駆逐艦「雪月」大破 00 37 天候 晴れ 駆逐艦「スチュアート」に敵戦艦の主砲弾が直撃、轟沈 01 55 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 02 33 天候 晴れ アースラン国駆逐艦がUボート撃沈 02 59 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 03 31 天候 晴れ フリゲート「インディアナポリス」大破 04 49 天候 晴れ 敵戦艦撃沈 05 10 天候 晴れ フリゲート「ミルウォーキー」沈没 05 41 天候 晴れ フリゲート「ウィチタ」大破 06 19 天候 晴れ フリゲート「リトルロック」大破 07 55 天候 晴れ 敵艦隊全滅、戦闘終了 2017/06/24 大ブリテン連邦共和国 +... 08 00 天候 晴れ 大東方帝國第13艦隊、ロンドン市に入港 08 05 天候 晴れ アルス・スカーレット総統は大ブリテン連邦共和国の装甲車に乗り込み、旧式主力戦車の護衛を受けつつ移動。 11 27 天候 晴れ 東方帝国連邦の意志につられた大ブリテン連邦共和国民がIEDを使用しテロを起こし装甲車は大破、総統閣下と兵士数名が負傷 11 28 天候 晴れ 負傷兵及び総統はIFVに移る。襲撃してきた者を確保。 2017/07/15 日本近海 +... 00 00 天候 晴れ 全空母より航空隊発艦 00 47 天候 晴れ 途中で航空隊が敵哨戒機に発見される 01 14 天候 晴れ 敵艦隊に到達するも直掩機の猛攻を受ける 01 49 天候 晴れ 敵偵察機に大東方帝國第5艦隊が発見される 01 55 天候 晴れ 敵偵察機に大ブリテン連邦共和国艦隊が発見される 02 27 天候 晴れ 軽空母「イーモン」上甲板火災発生 02 33 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 02 59 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母上甲板壊滅 03 27 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 03 55 天候 晴れ 正規空母「エンタープライズ」上甲板壊滅、航空機発着艦不能 04 29 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 04 33 天候 晴れ 巡洋艦「フェイ」大破、戦闘不能 05 07 天候 晴れ 大東方帝國第1艦隊突撃。機関過負荷で戦艦「八雲」が異例の36ktを発揮 05 37 天候 晴れ 戦艦「八雲」が巡洋艦「フィンレイ」を追い抜いていき艦隊に衝撃を与える 05 44 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 05 59 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 06 12 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 06 25 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 06 49 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 07 14 天候 晴れ 巡洋戦艦「生駒」大破、戦闘不能 07 26 天候 晴れ 敵艦載機の猛攻により制空権を完全に敵に握られる 07 33 天候 晴れ 軽空母「イーモン」、火災の消火の見込みなし、駆逐艦「雪風」により雷撃処分 07 44 天候 晴れ 戦艦「紀伊」大破 08 21 天候 晴れ 重巡洋艦「浅間」大破 09 10 天候 晴れ 正規空母「白虎」機関室浸水、航行不能 09 27 天候 晴れ 正規空母「玄武」上甲板火災発生、消火不能により放棄 10 12 天候 晴れ 駆逐艦「幻月」大破、戦闘不能 10 59 天候 晴れ 敵ゼルグート級戦艦撃沈 11 21 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 12 01 天候 晴れ 戦艦「武蔵」火災発生 12 47 天候 晴れ 敵ガイデロール級戦艦撃沈 13 29 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 14 14 天候 晴れ フリゲート「アビエル」に敵戦艦の主砲弾が直撃、轟沈 14 49 天候 晴れ 重巡洋艦「飯豊」大破、戦闘不能 15 21 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 15 51 天候 晴れ 戦艦「博麗」大破 16 22 天候 晴れ 混乱が生じ大混戦となる 16 56 天候 晴れ 艦載機の9割を喪失、航空隊は壊滅する 17 11 天候 晴れ 駆逐艦「電」とミサイル艇「ダミアン」が衝突、「ダミアン」沈没。電「沈むほうが悪いのです!!」 17 49 天候 晴れ 駆逐艦「涼月」大破、戦闘不能 18 09 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 18 57 天候 晴れ フリゲート「アブナー」沈没 19 27 天候 晴れ 戦艦「三笠」大破 20 07 天候 晴れ 戦艦「河城」機関室浸水、航行不能 20 55 天候 晴れ 戦艦「東雲」大破、戦闘不能 21 37 天候 晴れ 戦艦「信濃」大破、戦闘不能 22 15 天候 晴れ 戦艦「尾張」大破、戦闘不能 22 29 天候 晴れ 巡洋戦艦「妙義」大破、戦闘不能 22 55 天候 晴れ ミサイル艇「ダリウス」沈没 23 12 天候 晴れ 巡洋艦「ファーガス」沈没 23 19 天候 晴れ 巡洋艦「ベイル」沈没 23 39 天候 晴れ 戦艦「薩摩」機関室浸水、航行不能 23 59 天候 晴れ 戦艦「播磨」大破、戦闘不能 24 00 天候 晴れ 海戦二日目へ 2017/07/16 日本近海 +... 01 22 天候 晴れ 戦艦「山城」機関室浸水、航行不能 03 32 天候 晴れ 戦艦「大和」大破、戦闘不能 05 47 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 06 16 天候 晴れ 正規空母「白虎」沈没 06 55 天候 晴れ 正規空母「玄武」沈没 07 39 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 08 24 天候 晴れ 正規空母「紅」沈没 08 58 天候 晴れ 戦艦「敷島」機関室浸水、航行不能 10 10 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 10 27 天候 晴れ フリゲート「エイブラム」沈没 11 07 天候 晴れ ミサイル艇「データス」沈没 11 39 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 13 53 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 14 18 天候 晴れ 戦艦「南雲」機関室浸水、航行不能 15 20 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 16 39 天候 晴れ 巡洋艦「バップ」機関室浸水、航行不能 17 01 天候 晴れ 巡洋艦「バップ」浸水拡大により転覆沈没 17 39 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 20 17 天候 晴れ 敵の慢心により形勢逆転、突如有利に、ミサイル搭載艦が敵空母に対し一斉攻撃 20 21 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 20 25 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 20 28 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 20 34 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 20 39 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 20 42 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 20 49 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 20 57 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 01 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 12 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 26 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 39 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 47 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 51 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 55 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破 21 59 天候 晴れ 敵ガイペロン級正規空母艦橋大破、これで敵空母はすべて戦闘不能に 22 32 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 23 33 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 24 00 天候 晴れ 海戦三日目へ 2017/07/16 日本近海 +... 2 17 天候 晴れ 大東方帝國駆逐艦突撃開始 2 55 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦三隻撃沈 3 12 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 3 44 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 4 00 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 4 12 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 5 23 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 6 23 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 7 21 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 7 56 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 8 35 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 9 23 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 10 23 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 11 32 天候 晴れ 敵デストリア級重巡洋艦撃沈 12 12 天候 晴れ 敵改春藍型航空戦艦撃沈 13 25 天候 晴れ 敵改春藍型航空戦艦撃沈 15 25 天候 晴れ 敵改春藍型航空戦艦撃沈 17 57 天候 晴れ 敵改春藍型航空戦艦撃沈、敵艦隊司令戦死 18 00 天候 晴れ 敵艦隊投降、戦闘終了 2017/12/04 帝都 +... 0 28 天候 晴れ 上陸隊上陸開始 1 55 天候 晴れ 上陸部隊総統府を包囲、ここまで敵の抵抗なし 2 07 天候 晴れ 総統府突入、敵の抵抗なし 2 30 天候 晴れ アルス・スカーレット総統が直接総統府に突入 3 00 天候 晴れ 総統府最上階にて首謀者と思われる者の遺体が発見される 3 27 天候 晴れ 首謀者の側近と思われる人物を確保 5 55 天候 晴れ 側近が首謀者が自殺したことと、継戦する力も無いことを告げる。 6 00 天候 晴れ 内戦の終結を宣言。大東方帝國内戦終結 あとがき 最後のほうにグダってしまいました 参戦国の皆さん、申し訳ありませんでした そして、参戦ありがとうございました 茶番企画は機会があればまたやると思うので、またよろしくお願いします 参戦用コメント 名前 コメント
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シチリア晩祷戦争 この項目ではシチリア晩祷戦争について説明しています。そのほかの企画については過去企画を参照してください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(140年8月) System=ダイス シチリア晩祷戦争(しちりあばんとうせんそう、英 War of the Sicilian Vespers、統一歴140年-140年)は、シチリアの晩祷事件をきっかけに、シェラルド王国がトラキア・ローマ帝国租借下のシチリア島奪還をめざし侵攻したことで、両国が率いる機構のあいだで起こった戦争である。 シチリア晩祷戦争 目次[非表示] 1. 概要 2. 背景 2-1. トラキアによるシチリア租借 2-2. シチリアの晩祷事件 3. 開戦 4. 開戦後の経緯 4-1. シチリアの戦い 4-2. ナポリ軍団の反乱 4-3. 神聖ローマ=ビュザンティウム戦争 4-4. サレルノ・ベネヴェントの戦い 4-5. 第一次ローマ攻防戦 4-6. holynation独立戦争 4-7. イストリア戦線 4-8. 第一次ティレニア海海戦 4-9. ペスカーラ上陸作戦 4-10. 両都攻勢 4-11. ガリポリ上陸作戦 4-12. コンスタンティノープル陥落とモレラの離脱 4-13. モンカリオリの両王決闘 4-14. 第三次ローマ攻防戦 4-15. ナポリ撤退戦と第二次ティレニア海海戦 5. 終戦と講和 6. 影響 7. 関連項目 8. 参考文献 シチリアの晩祷事件 パレルモ講和会議 戦争 シチリアの晩祷戦争 年月日 2020年08月02日 - 2020年09月05日 場所 イタリア半島、シチリア島、ボスポラス海峡など 結果 戦前回帰。対モレラ、対HNはシェラルド勝利 交戦勢力 シェラルド王国 トラキア・ローマ帝国 アナトリア諸侯 尾鷲帝国 モレラ共和国 HolyNation 指導者・指揮官 エリックⅠ世 ユリウスⅥ世 エルンスト・ロシェシュタール グナエウス・コルウス・カエサル オイスタン・コルーメディ ラエティリウス・ユニウス・キンナ イーゼット大公 モレラ大統領 シーナン・オニール モレラ将軍 ヴィットリオ=アメデーオⅩ世 HN将軍 概要 シチリア島民の反トラキア反乱であるシチリアの晩祷事件が発生し、これをシチリア奪還の契機とみた神聖ローマ皇帝エリックが介入し開。神聖ローマ帝国とビュザンティウム連合との機構間戦争に発展した。シチリア島民は独立を望み、シェラルドのナポリ軍団と結びつき反抗したが、後により民主的なトラキアへ靡きBU軍をナポリへ率引き入れた。これに対しエリックは大陸軍を引き連れ撃退を図るも、HRE領サヴォイア王国で元holynation王太子ヴィットリオが独立反乱を起こしたため、ローマの救援に失敗しBU軍がローマを占領した。その後陸海で一進一退の攻防が続き、膠着の打破を図りシェラルド=アナトリア軍はBUの一角モレラ共和国を攻撃した。多大な犠牲を払いコンスタンティノープルを占領すると、モレラとは早期和平が実現した。また、モンカリオリの両王決闘でエリックがヴィットリオを破るとHN戦線も終結し、トラキアが取り残され一転し劣勢となった。トラキアの背後でアフリカ大戦が発生すると、トラキア軍はシチリアへ撤退したが、シェラルドもまた背後で東欧戦争が発生し、追撃が叶わなかった。両軍はカラブリアとメッシーナで睨み合ったまま膠着し、そのまま和平となった。パレルモ条約が締結され、シチリアはトラキアへ、ナポリはシェラルドへ。と、戦前の状態へと回帰した。 緑がシェラルド=アナトリア同君連合、黄色がトラキア・ローマ=尾鷲同君連合、橙がモレラ共和国、水色がサヴォイア王国、灰色は教皇領。中央の赤色が争点となったトラキア領シチリア 背景 トラキアによるシチリア島租借イタリア半島はかつてのローマ帝国の中心地であり、ローマの後継を自称するトラキア・ローマ帝国、holynation、そして神聖ローマ帝国を率いるシェラルド王国の間で係争地となっていた。135年、シェラルド王国はスイス継承戦争に端を発するholynationとの戦争(半島戦争)に勝利し、イタリアの大半を手中に収めた。しかし137年、神聖ローマ帝国とレグルス帝国の間に戦争が起こると(第十次十字軍)、その隙にシェラルドの属国となっていたholynationの後継国家であるサヴォイア王国が、イタリアの島嶼や都市を各国に売却してしまった。シェラルド軍や皇帝エリックはアナトリアにおりこの動きを阻止できなかった。エリックは中華連邦のナポリ、トンガ帝国のカラブリアなどを外交努力によって回収したものの、トラキア・ローマ帝国のシチリア島については交渉がまとまらなかった。両国は106年のトラキア・ローマ皇帝ユリウスⅥ世とシルビア・イェリングの婚姻以来33年間にわたり同盟を維持していたが、シチリア島及びイタリアを巡り関係が悪化。第三次欧州大戦の勃発時にトラキア・ローマ帝国が参戦要請を拒否すると、遂に同盟は破棄された。 神聖ローマ皇帝エリック1世およびトラキア・ローマ皇帝ユリウス6世と皇后ソフィア・イェリング シチリアの晩祷事件トラキア・ローマ帝国がビザンツ帝国の旧領回復を目指し、エジプトの尾鷲第一帝国に侵攻したビザンツ・エジプト戦争は、139年にアレクサンドリアが陥落し終結した。ヒュペリオン条約によってトラキア・ローマ皇帝ユリウスⅥ世が尾鷲皇帝を兼ねると、尾鷲帝国はトラキア・ローマ帝国の同君下位国となった。この戦争中に莫大な戦費、物資を必要としたトラキアは、シチリア総督に任命していたバッシウス・パウリヌスに命じ、シチリア島全土からの徴発を行った。この指示自体は戦争税としては決して他国と比べ多過ぎるようなものではなかったが、パウリヌスは違法に徴発額のを嵩増しし、上前をハネていた。戦後にこのことが明るみに出るとトラキア議会は紛糾した。しかし時既に遅く、シチリア島住人の間では反トラキア感情が爆発した。各地で抗議デモが起こり、頻繁に暴動へ発展した。トラキアは国家憲兵隊を派遣し沈静化を図ったものの、多数の死傷者を出した。中でも最大の暴動は3月30日にパレルモで発生した。この日はシチリア島の住人が信仰するC教の復活祭の日であり、多数の市民が教会前で抗議集会を行っていた。そこに現れた国家憲兵隊の一人が集会を解散するよう命じたところ、教会の晩祷の音を合図に暴動が発生した。トラキアの国教はローマ神教であり、憲兵隊がC教の風習に無遠慮な振る舞いがあったことが原因とされている。 シチリア島民を弾圧するトラキア国家憲兵隊 開戦 神聖ローマ皇帝エリックのシチリア侵攻トラキア政府は暴動鎮圧の為に正規軍1万人を派遣したが、このときシチリア島の対岸、ナポリのカラブリア市に皇帝エリックと親衛隊、さらにシェラルド軍第4軍団が終結していた。C教徒の保護を掲げるエリックはシチリアの晩祷事件を好機と捉え、シチリア島の再征服に乗り出した。8月3日、エリック及び神聖ローマ帝国はトラキア・ローマ帝国及びビュザンティウム連合に対し宣戦布告し、カラブリアの対岸メッシーナへ侵攻を開始。現地の親シェラルド貴族の手引きでマルシアル元帥麾下の第4軍団に橋頭保を築かせると、続々と上陸。エリック自身もシチリアへ降り立った。トラキア軍は暴動鎮圧の為シチリア全土に広く薄く分かれており、この突然の上陸を防ぐことができなかった。 シェラルド軍のシチリア上陸 開戦後の経緯 シチリアの戦い上陸したシェラルド軍は首都パレルモを目指し進軍。また、各地に散らばるトラキア軍を各個撃破すべく、軍を分散させた。トラキア軍派遣軍司令官オクタウィアヌスは水際防衛の為シチリア東部の都市カターニアの部隊を向かわせ、両者はトロイーナで交戦した。本戦争における最初の両軍の本格的な戦闘である。トラキア軍はトロイーナで時間を稼ぎ、終結を待つ作戦をとったが、しかしシェラルド軍の予想以上の行軍速度の前に破綻した。欧州の機動戦への慣れの差もあったが、トラキア軍は行く先々でシチリア島民のゲリラ戦に苦しんだ。後退したトラキア軍は各都市での籠城戦に切り替えたが、パレルモを除き早期に陥落した。オクタウィアヌス麾下のトラキア軍はパレルモで籠城していたが、6日には事情が変わってきた。パレルモ市民の抵抗運動が激化し、ただでさえ欠乏している物資に放火されたり、夜間に兵士が襲撃にあうなど、最早籠城など不可能な状況であった。止む終えずトラキア軍はパレルモから進出。前方のコルレオーネに陣を敷いた。トラキア軍は憲兵隊や警察官まで動員し抗戦したものの、物量差は覆せず敗戦した。士気に限界がきていたところに、シェラルド軍十八番の騎兵突撃は抜群に効いた。トラキアのシチリア派遣軍はその殆どが戦死、あるいは捕虜となり、シチリア島の戦いはシェラルドの完勝であった。 シチリアでの戦闘はシェラルド軍が優位に進めた。 ナポリ軍団の反乱HRE皇帝エリックは占領したパレルモへ入城した。エリックはシチリアの反乱を異教の支配者に対するC教徒の反乱と捉えており、HREの下に回帰することを望んでいると信じて疑わなかった。しかしこれは大きな過ちであった。反乱戦争の中で、シチリア島民の要求はこれがHRE及びシェラルド王国を窮地へ陥れることとなる。4日、ノルマンニ宮殿でエリックのシチリア王位の確認と同地のHREへの回復が宣言された。しかし、その帰途エリックはパレルモ市民からの銃撃にあった。銃弾は彼の帽子を飛ばしたに過ぎず、犯人はただちに親衛隊により射殺されたものの、これがきっかけとなりシチリアは再び反乱に包まれた。エリックは鎮圧を軍に命じたが、これは戦場たる島内で軍を分散させる悪手であり、トラキアの二の轍を踏む判断であった。翌5日、反乱はナポリへ飛び火した。パリの参謀部は、ナポリ人で構成され、自治権と引き換えに現地の守備隊となる、シェラルド軍のナポリ独立軍団に反乱の鎮圧を命じた。軍団長のジュゼッペ・ガルボ将軍はナポリでこの命令書を受け取ると、伝令兵を惨殺し、シェラルド軍を離反し反乱軍へ付く決心をした。彼はナポリ各地の反乱軍を糾合し大軍を作り上げ、市民兵や農民兵の集団だった反乱軍に正規軍の武器を齎した。大パニックと化した参謀本部を尻目に、ナポリ軍団は半島を南下した。 HRE皇帝エリック 神聖ローマ=ビュザンティウム戦争ナポリ軍団は皇帝軍を撃破すべくシチリアへ向かったが、これを猛追したのがローマにいたロシェシュタール元帥麾下のシェラルド軍イタリア方面軍だった。ロシェシュタールはローマを発つと不眠不休の強行軍でナポリ市に到達。半数を包囲に残しさらに南下してナポリ軍団にコゼンツァで追いついた。両軍の戦闘は、歴戦の元帥が巧みな指揮でナポリ軍団を撃破し皇帝を救ったものの、長距離行軍の疲労で追撃が叶わず、ナポリ軍団の大部分は半島東部へ撤退した。パレルモの神聖ローマ皇帝エリックは、情勢の変化を受けて、指揮を執るべくフランス本土へ帰還した。少数の守備隊がシチリアに残ったが、トラキア兵の死体から武器を奪ったシチリア島民の襲撃により、まもなく陥落した。島民はパレルモのマッシモ劇場に戦争遂行のための臨時評議会を立ち上げ、反乱の組織化を目指した。しかし、頼みの綱のナポリ軍団が目前で敗北したことを知ると、協議の末、これを伝えに来たガルボの密使に評議会としての結論を伝え、ガルボの下へ送り返した。シチリア評議会とナポリ軍団は、共にHRE、BU双方を敵に回すのは困難との結論で合意し、独裁的なHRE皇帝でなく、議会民主制を尊重し尾鷲の統治で実績を示したトラキア軍との交渉を選んだ。ガルボは全権大使としてバーリ市でトラキア使節と会談すると、トラキアのもとでナポリ、シチリアが自治権を有することで合意。ナポリ軍団もトラキア軍へと下り、トラキア軍は尾鷲から集めた義勇兵と共にナポリへ出兵し、モレラ共和国がBU加盟国として参戦した。これを受けてHRE皇帝エリックはモレラと国境を接する、自身が王位をもつアナトリア王国に参戦要請を出し、これにより様相はトラキア率いるBUとシェラルド率いるHREとの、2勢力による全面戦争へと移行した。 トラキアの植林事業は尾鷲人に歓迎され、快く義勇兵派遣に同意した。 サレルノ・ベネヴェントの戦いナポリ軍団を取り逃がしたロシェシュタール元帥は、トラキア軍のイタリア本土上陸を察知すると内線作戦による機動戦による各個撃破を目指しナポリを直ちに出立し、サレルノの山間でビュザンティウム連合軍に強襲攻撃を仕掛けた。突然の攻撃に連合軍は混乱状態に陥り、戦列の右翼が一時崩壊寸前の状態にまで陥った。すかさず、シェラルド軍は軽騎兵による騎兵突撃を敢行し、片翼包囲を図ったものの、後詰めの尾鷲義勇兵によるファランクスに阻まれ撤退、戦いの趨勢をは振り出しへと戻った。一方、ナポリ南方に上陸した第4軍団「マルス・インウィクトゥス」は上陸地点近くにに大量のダミー戦車と物資を残し、大軍が集結しているかのように偽装し、シェラルド軍の注意が南へ集中している所を大きく迂回し北方からナポリを強襲した。途中、ベネヴェントでジュノー将軍指揮下の師団級部隊と接敵したものの、物量のものを言わせ撃破、ナポリ目前へと迫った。後背を脅かされる形となったロシェシュタールは不利を悟り戦場を撤退。その後、疲弊した方面軍ではナポリの防衛も困難と判断し、教皇領のローマ市まで後退した。 サレルノの戦い。 第一次ローマ攻防戦BU軍はローマを包囲した。HRE皇帝エリックはイタリア方面軍に対し、ローマ市の死守命令を下した。方面軍は籠城戦でよく耐えており、この間に大陸軍が援軍に駆け付ける手筈であった。しかし、情勢は背後で起きたある事件によって急変する。背後サヴォイアでholynationが独立戦争を開始したためだ。北イタリアをローマへ向け行軍中だった大陸軍は、突如として南北の敵に包囲される形となってしまい、HN軍への対処によりローマへの応援は困難となった。この情報が伝えられたローマでは、教皇庁の脱出作戦が行われた。世闇に紛れての逃避行は、これに気づいたBU軍の総攻撃との激戦となった。この戦闘は方面軍が勝利し、教皇庁はミラノへ逃れたものの、方面軍の余力は尽きていた。続く第二次総攻撃では、トラキア軍が精鋭第6軍団を惜しみなく投入したことで多くのシェラルド兵が戦死した。HREの聖都は遂に陥落した。 聖都は炎に包まれた。 holynation独立戦争かつて半島戦争でシェラルド王国と戦い敗北し滅亡。その後領土もわずかなサヴォイア王国として復活した元holynationでは、シェラルドからの独立運動も盛んであった。追放された元王太子ヴィットリオはこうした動きを耳に入れ、密かにマルタ島を脱出しサヴォイア王国へ密入国した。シチリア戦争が始まると、ヴィットリオは武装親衛隊を率いてトリノの宮廷へ乗り込みクーデターを決行。女王マティルディを殺害し(ヴィットリオの意図に反した親衛隊の暴走であると後に述べている)、HN王として即位を宣言。シェラルド王国に対し独立を求める宣戦を布告した。このとき、シェラルドの大陸軍は、ローマへむけ山と川とに挟まれたアレッサンドリア街道を長大な縦列で行軍しており、これを好機とみたヴィットリオは、サヴォイア軍や周辺の北イタリア諸侯から集めた義勇兵との連合軍を率いトリノを出立。最後尾を行く大陸軍第Ⅱ軍団へアスティ近郊で奇襲攻撃をしかけた。この戦闘は、第Ⅱ軍団が粘り強く抵抗したことで、準備期間に乏しく寄せ集めであったHN軍の攻勢を挫き退却させた。HN軍はトリノへ退却したが、天然の要塞都市トリノへ逃がしたくないエリックは、止む無くローマを諦め大陸軍を率いて転進した。無理な追撃はトリノへ続く山道でのゲリラ戦にあい被害を出したが、遂にトロファレッロで追いついた。HN軍はやむを得ず少なくない部隊を殿に残し、彼らの活躍によって辛うじてヴィットリオと本隊はトリノへ逃れた。市外戦を制した大陸軍は、トリノ包囲軍を残し再びローマへ進軍した。 第Ⅱ軍団はよく持ちこたえた。 イストリア戦線BU軍はローマを占領したものの、消耗も大きく一時停止した。その後、さらなる北上を試みたが、その間に、かつて教皇庁脱出作戦の際に、密かにこれに紛れ脱出したイタリア方面軍の一部が、市民や聖職者らの協力のもとローマ北部に長大な塹壕線を築いていた。BU軍は止む無く対抗して塹壕線を築いた。エリック率いる大陸軍も到着したが、お互いの強固な陣地の突破は難しく、数度の戦闘の末、膠着状態に陥った。これを打破するべく、エリックは北イタリアからクロアチア経由でのトラキア本土攻撃の作戦を立て、大陸軍第Ⅳ、第Ⅴ軍団にこれを命じた。これをトラキアは航空偵察で察知し軍団を派遣したため、ストリアで新たな戦線が築かれた。両軍はトリエステで接敵した。この戦闘は、シェラルドの戦列歩兵や胸甲騎兵とトラキアのローマ・カタクラフトとの、非常に奇妙な対決となった。緒戦は射程に勝る銃兵戦列が、ローマ兵を削りながら漸進した。しかし、鉄の結束を誇るカタクラフトの隊列は崩れず、いよいよ銃剣突撃が必要な間合いにまで迫ったものの、近接戦により優れた相手への突撃は不利と判断され、行われなかった。対するローマ側も、反撃のため少しでも前進し隊列を崩せば、すかさずシェラルド騎兵が突撃してくるため、睨み合うほかなかった。結局、剣俊なイストリアでは迂回もままならず、こちらでも膠着状態となった。 軍事研究科達に「最も奇妙な陸戦」と言わしめた。 第一次ティレニア海海戦シェラルド軍がイストリアへの迂回を計画したように、BU軍も膠着打破の計画を立てた。ローマ塹壕線後方のペスカーラへの上陸作戦である。しかし、この情報もまた、ナポリ兵に紛れた間謀によって齎され、シェラルド軍はこれを阻止すべく、マルセイユの地中海艦隊へ出撃を命じた。BU軍も艦隊を出撃させ、両者はティレニア海で衝突した。今戦争発の本格的な海戦となった。シェラルド地中海艦隊は、戦列艦21隻及び補助のフリゲート艦からなり、指揮官はコルーメディ提督である。対するBU艦隊はトラキア海軍が主体で、その構成はローマ式の三段櫂船であった。シェラルド海軍は陸軍の栄華に対しいまひとつであり評価が低かったが、この海戦では砲性能差を活かし三段櫂船をことごとく撃破する大活躍をみせ、ティレニア海海戦をシェラルド軍の勝利へ導いた。BU海軍はアドリア海へ撤退した。この報告をうけたHRE皇帝エリックは地中海艦隊を称賛し、コルーメディ提督へアドリア海への追撃を求めた。コルーメディは狭いアドリア海ではガレー船の方が有利とこれを一度は断るも、皇帝命令には逆らえず渋々出航した。地中海艦隊はアドリア海へ乗り込み、BU海軍とふたたび戦闘を開始した。戦列艦艦隊は無風の内海で機動性を損ない、対照的にローマ・ガレー船部隊は自らの庭を縦横無尽に駆け巡った。ときには四方八方からのラムアタックにより沈没し、ときには接弦からの白兵戦で船ごと拿捕された。またたくまに地中海艦隊は壊滅状態となり、提督を乗せた旗艦含め、わずか4隻のみが辛うじてヴェネツィアへ逃げ込んだ。アドリア海海戦はBU軍の圧勝となり、エリックは落胆した。 軍事研究家達に「最も奇妙な海戦」と言わしめた。 ペスカーラ上陸作戦シェラルド地中海艦隊の壊滅によって、もはやペスカーラ上陸作戦を阻むものはなくなった、BU軍はこれを決行した。大陸軍は止む無くこれの防衛にデレッセル元帥の第Ⅴ軍団を向かわせ、ローマ奪還のための戦力をさらに減少させた。制海権の確保により、潤沢な海上支援を得たBU軍は、あっさりとペスカーラに橋頭保を築き、第Ⅴ軍団は苦戦を強いられた。それでも老練なデレッセル元帥は沿岸に堡塁を築き、大砲を並べ粘り強くBU軍を押し戻し続けた。しかし、BU軍が拿捕したシェラルド戦列艦から堡塁に一斉射撃を行うと、兵士の士気は大いに損なわれてしまった。元帥は沿岸での防衛を不利と判断し、第55連隊にローマ塹壕線のさらなる延長工事を命じた。BU軍は激戦の末遂にペスカーラ市を奪取した。しかし、第Ⅴ軍団の抵抗により、このころにはペスカーラ郊外までシェラルド軍の防衛線は伸びており、殆ど徒労に終わってしまった。むしろ、この地点はナポリ方面の本隊から分断されたウィークポイントとして、後々までBU軍の負担となってしまった。 アドリア海で拿捕された戦列艦が牙を剥いた。 両都攻勢ローマ、イストリアでの対トラキア戦線の膠着をうけ、HRE皇帝エリックは攻撃目標の変更を計画した。すなわち、アナトリア軍を動員して敵同盟国モレラを叩き脱落させようというものである。これは直ちにアナトリア王国へ通達され、軍事総督ハシュタウゼンの命でアナトリア軍及び現地に駐留しているシェラルド軍が国境へ動員されギリシャ方面軍となった。司令官にはフィッツカラルド元帥が任命された。この軍によるコンスタンティノープル攻勢と合わせて、ローマへの総攻撃も決定された。これらは両都攻勢と銘打ち大々的に行われた。しかし、両都ともに一度の攻撃で陥落するほど柔ではない。BU軍は防衛に成功した。アナトリアとモレラは、コンスタンティノープルやエーゲ海諸島の帰属で揉めながらも、共通的レグルスやShVVsの脅威の前に、お互いに海軍戦力は出し渋った。 フィッツカラルド元帥は猛将で名を馳せた。 ガリポリ上陸戦第一次コンスタンティノープル攻撃が失敗に終わり、ギリシャ方面軍司令官フィッツカラルドは正面突破は不可能と判断し、ガリポリ半島へ上陸しての迂回、そしてコンスタンティノープルの包囲を上奏した。これを皇帝エリックは承認し、作戦は実行に移された。第一次ガリポリ上陸戦は、日の出と共に攻撃が始まり、これは夜間まで続いた。モレラ軍陣地からの無数の砲弾や銃弾の嵐の中、シェラルド第Ⅷ軍団は甚大な犠牲を払いながらも辛うじて僅かな橋頭保を築き、アナトリア軍と共に再三の突撃を敢行した。最終的に、モレラ軍のいくつかの塹壕を奪取したものの、日暮れには天候が悪化し、あまりに消耗も激しかったため最初の橋頭保地点まで後退した。モレラ軍もまた激しい砲撃船により補給の限界を迎えており、大規模な反撃は行えなかった。モレラ軍が奪回した塹壕は身元不明の死体で埋め尽くされており、この日の戦闘は後に「ガリポリの骨ミキサー」と揶揄された。天候の回復を待ち、第二次攻勢が始まった。この間にモレラ軍は補給を回復し、移動弾幕射撃を用いた反抗作戦に出るも、東部やイズミル方面から続々と引き抜かれ送り込まれて切るアナトリア軍の物量の前に押し返され失敗した。また、この戦闘で予備弾薬を消耗したモレラ軍は劣勢を強いられた。この日の戦闘で、オドラン大将麾下のアナトリア第Ⅰ軍は、まさに命知らずな突撃を見せた。いくら砲撃の手が緩んだとはいえ、モレラ軍の強固な塹壕と銃弾の弾幕は幾度となく第Ⅰ軍を押し返した。しかし、それでも士気高く突撃を繰り返す第Ⅰ軍の前に、遂にモレラ軍は内地への撤退を決断した。モレラ軍の塹壕内にも死体が積み重なり、最早防衛どころではなくなっていた。その後、フィッツカラルド元帥は予備のシェラルド軍を率い北上し、モレラ軍の小部隊を撃破しつつ、遂にコンスタンティノープルを包囲した。HRE皇帝エリックは「アナトリア兵。彼らこそ最も勇敢な男たちだ、ということを、臣民の誰もが知らなければならない」とその献身を絶賛した。 強固なモレラ軍陣地への突撃は多くの戦死者を出した。 コンスタンティノープル陥落とモレラの離脱モレラ軍はアナトリア=シェラルド軍を追い出すべく散発的に攻撃したが、どれも失敗に終わった。遂にコンスタンティノープルへの第二次総攻撃が始まった。このときの様子を、当時のコンスタンティノープル市民は「大砲の音が三日三晩鳴りやまなかった」と回顧した。そのような猛攻の前に、遂に千年帝国の首都の防壁も陥落した。また、同時期に、フィッツカラルド元帥は先の上陸戦に味を占めエーゲ海諸島への上陸も計画し、手始めにレスボス島へ軍隊を派遣した。この上陸作戦は成功し同島を占領。さらに、停泊していたモレラ艦艇数隻を拿捕するなど大戦果を挙げていた。こうした状況から、モレラ大統領はフィッツカラルドへ休戦協定を求める使者を送った。こうして、HRE=モレラ間で、コンスタンティノープルの和約が結ばれた。シェラルド=アナトリアは優勢であったが、モレラの早期離脱及び戦後の防共、防レ協力のため、寛大なものであった。モレラに求めたものは速やかなシチリア戦争からの離脱、そして占領したレスボス島と、同島で拿捕した艦艇の引き渡しに限られ、これに同意し両国間の戦争は終結した。これによって、戦線全域にわたり、少なくない数を担っていた同盟国から取り残されたトラキアは劣勢に立たされ、モレラを強く非難した。 コンスタンティノープルの和約。 モンカリオリの両王決闘コンスタンティノープルの和約と同じころ、HN暫定首都トリノでは、続く包囲戦により飢餓が発生しはじめていた。包囲にはリュッシュモン元帥麾下の大陸軍第Ⅰ軍があたっていたが、トリノの攻めづらい立地、また戦力の多くをローマやイストリアの戦線に引き抜かれていたこともあり、攻めあぐねていたため、包囲戦は長期化していた。ヴィットリオはBU軍の奮闘を頼りに籠城していたが、日に日に悪化する市民の健康に心を痛めていた。そこにモレラ離脱の報が届くと、限界を察し、最後の可能性に賭けることを決断した。翌日、トリノとポー川を挟んで対岸の都市であり、シェラルド軍陣地であったモンカリオリへ、ヴィットリオが単身で現れた。彼が指揮官リュッシュモン元帥に要求したのは、HRE皇帝エリックとの一騎打ち、つまり決闘であった。決闘の条件は、ヴィットリオが勝利すればHN(サヴォイア)はシェラルドから独立し、和平を結ぶ。エリックが勝利すれば、サヴォイアはシェラルドへ併合される。というものであった。いずれにせよHN戦線を早期終結させられる。という打算とは関係なしに、エリックはこの気概を買い決闘を受けた。場所はモンカリオリ城の中庭に決まった。エリックは愛用のサーベル、かつて初陣であったポーランド戦争において、彼が初めて殺した敵兵であったコサックから奪った記念すべき戦利品を手に。ヴィットリオは追放の際唯一携帯が許された、父の形見でもある、サヴォイア家に代々伝わる宝剣を手に向かい合った。公証人ド・フルーリ枢機卿のピストルの音を合図に両者の愛馬は歩みを始め、10歩を数えた頃には最高速度に達した。その瞬間、両者は交錯した。宙を舞うは二つの影。それが方やエリックの帽子であり、方やヴィットリオの頭部であることを観衆が理解するのに、時間はかからなかった。エリックは13歳の頃から騎兵として最前線で戦ってきた生粋の軍人皇帝であり、優勢は明らかだった。それでも臣民の為に、自らと同じように命を懸けた若き青年の勇気を湛え決闘を受け、一撃で苦しむ間もなく首を飛ばした。エリックはフルーリにミサをあげさせると、遺体を丁重に包み、ヴィットリオの従者へ引き渡した。トリノ市は降伏したが、ヴィットリオの勇気に敬意を払い、HN軍人は望むならばナポリのトラキア軍陣地へ逃れることが許された。 グロ注意 第三次ローマ攻防戦長らく膠着が続いたローマ戦線だが、ここにきてシェラルド軍はトリノの降伏により第Ⅰ軍がローマ戦線に合流したのに対し、トラキア軍はモレラ軍の撤退によって戦力が減少した。これを好機とみたエリックは、ローマ戦線銭機に対し総攻撃を命令した。今戦争三度目となるローマ攻防戦が始まった。ローマ占領以後も同地で戦線を支えた歴戦のトラキア第Ⅵ軍団はここでも粘り強い抵抗を見せ、ローマ市を防衛した。しかし、長大な戦線に対し戦力が不足しはじめ、遂にデレッセル元帥の第Ⅴ軍団がペスカーラを、ウールップ元帥の第Ⅶ軍団がティボリを占領し、戦線に穴が開いた。ローマから戦線の指揮を執っていたトラキア軍スカエウォラ大将は、遂にローマの防衛を断念し全軍へナポリへの撤退を命じた。長大な戦線からの総退却は、トラキア軍を追撃戦による殲滅という未曽有の危機に曝したが、大陸軍はこれを追うことができなかった。同時期に中華連邦社会主義共和国率いるシルカグラード包括軍事協定軍が、HRE領であるドイツへ侵攻したためだ。皇帝エリックはこれを迎え撃つべく大陸軍を率いドイツへ転戦せざるを得ず、追撃の為皇帝からイタリア戦線の指揮権を引き継いだウールップ元帥には、わずかに二個軍団とイタリア方面軍の残余、そして北イタリア諸侯からの徴兵軍のみが残された。足並みの揃わない追撃戦はあまり成果が出なかった。しかし、こうした事情はトラキアの背後でも起きていた。レグルス帝国が引き起こしたアフリカ大戦の勃発により、同君連合下のエジプト国家尾鷲帝国が攻撃を受けた。イタリア戦線との二正面作戦は困難と判断され、軍部は第Ⅵ軍団はじめ主力軍をまわすべく、彼らをナポリから撤退させる判断を下した。半島のトラキア軍は、一路上陸地点バーリ市への撤退を開始した。 遂にローマは奪還された ナポリ撤退戦と第二次ティレニア海海戦ウールップ元帥はローマから南下しナポリを占領したが、既にトラキア軍は既にナポリを発っていた。しかし、このとき両軍の距離はそこまで離れておらず、撤退戦を指揮するスカエウォラ大将は、ウールップ軍の予想以上の行軍速度をおそれ、愚直にバーリへ向かうのはリスクが高すぎると判断した。トラキア軍の進路はカラブリアへ変更され、目指すはシチリア島となった。ウールップは追撃にあたり充分に偵察を送り出してはいたが、これらはナポリ人ゲリラたちによって阻害され、トラキア軍の性格な居場所や退却先がなかなか掴めなかった。それでもバーリ方面にトラキア軍がいないことがわかると、カラブリアへあたりを付け強行軍で追いすがった。次第にトラキア軍のシチリア退却が各所に伝わり始めると、シェラルド地中海艦隊は再び出撃要請を受ける。カラブリアとシチリアは海峡を隔てており、退却には海上輸送が必須であった。これを巡り、シェラルド地中海艦隊とトラキア艦隊は、最後の海戦へ臨んだ。第二次ティレニア海海戦である。地中海艦隊は先のリベンジにこそ燃えてはいたものの、時間が足りず戦力を回復できていなかった。艦隊はアドリアの敗残艦と、サヴォイアから徴収したわずかな戦列艦、そしてジェノバやニース、マルセイユらで徴発した漁船まで含まれた寄せ集めであった。これでは第一次ティレニア海海戦のような華々しい戦果はあがらず、順当に敗北しツーロンへ逃げ込んだ。しかし、この間はトラキア軍はカラブリアで待機せざるを得ず、ウールップ軍はすぐそこまで迫っていた。トラキア艦隊は大急ぎで軍の輸送を開始した。全兵士の収容が完了した頃、郊外から大砲の音が轟いた。トラキア殿軍とウールップ軍とが接敵し、戦闘を開始した音だった。彼らは奮戦し、辛うじて輸送船が安全に港を離れるまで時間を稼いだ。彼らは全員が戦死か捕虜となったが、ウールップは勇敢さを湛え彼らを厚遇したという。このときの捕虜の一人は後に回想録を残し、「ウールップは港を去り小さくなってゆく船影を見つめ、悔しさから帽子を叩きつけていた。」と綴った。 帽子を叩きつけるウールップ元帥 終戦と講和 シチリア撤退戦以降、両軍は海を挟んでの睨み合いが続いた。お互いに戦争での消耗が激しく、さらに背後での戦争に忙殺されていたため、これ以上の戦闘に消極的になっていた。かねてよりローマ戦線の膠着を受けてトレントで停戦案をめぐる協議が行われており、折り合いがつかず難航していたが、ことここに至り、戦線が戦前へ戻ったことで両国は和平に前向きになった。両帝の意向を受け、トレント会議で作成された和平案は合意に至り、条約締結にふさわしい地へ届けられた。今戦争の契機となったシチリアの晩祈祷事件の地、パレルモである。トラキア皇帝が東欧戦争の指揮で出席できないエリックに代わり全権使節として訪れたヨーデリンゲ主席国務大臣を迎え、パレルモ講和会議が開かれた。条約の内容は戦前回帰で合意された。すなわち、シチリアはトラキアへ、ナポリはシェラルドへ、というものである。8月25日、正式にパレルモ条約が締結され、シチリア晩祷戦争は終結した。また、トリノ降伏後にトラキア軍へ合流し、シェラルドとの戦争を続けていた残存HN軍は、トラキア艦隊保護の下、マルタ島へ逃れた。彼らはマルタに亡命HN政権を立ち上げシェラルドに抵抗した。シェラルド=亡命HN政権間の休戦は遅れて9月5日、ナポリ=マルタ間の海上で、シェラルド戦艦プリオール艦上で締結された。この後にサヴォイアはヴィットリオの遺言に倣いシェラルドへ併合され、HN独立戦争も終結した。 パレルモ条約調印式 影響 戦後、トラキア領シチリアでは、汚職疑惑により罷免された前総督パウリヌスに代わり、新たにアンナエウス・プブリコラが就任した。新総督は反省からシチリアへ寛大な自治権を与え、島民の懐柔に努めた。これとは対照的に、シェラルドはナポリの反乱勢力を徹底的に弾圧した。ナポリ軍団兵はトラキアへ逃れたが、残された反乱へ協力した市民などは、逮捕されたり、財産を没収されたりした。かつて独立ナポリ軍団への兵力供出と引き換えに与えられていた自治権は剥奪され、新たに送られたナポリ総督の統治下で冬の時代が続いた。後にメーレンカンプ元帥がマクシミリアーノⅠ世としてナポリ王位を与えられてからは彼の下で独自の政府が創設されたものの、シェラルドの隷属下にあることは変わらず、散発的に反乱が続いた。マルタの亡命HN政権は、変わらずイタリアの支配権はHNにありと主張し続けたが、肝心の担ぐべき主君も王朝も失っていた。これはイタリアへ野心を向ける周辺諸国の、イタリアへの請求権をめぐる継承戦争の火種として残った。戦争の結果は、講和内容を鑑みて痛み分けの引き分け、という見方が主流である。しかし、ナポリの奪回や対HN、対モレラにおける戦勝を理由にHRE、シェラルド=アナトリアの勝利と見る者もいれば、エリックの当初のシチリア奪回という目標を果たさせず、長期にわたりローマを占領した点から、BU、トラキアの勝利だ、と見る者もいる。かつて33年間にわたり続いたシェラルド=トラキア間の蜜月は、今戦争で完全に終わりをつげ、後のクリミア戦争などでも、両者は対立を続けることとなった。 戦後イタリア統治はミラノ勅令で定められた。 関連項目 ● 東欧戦争● アフリカ大戦● クリミア戦争 参考文献 ● ページ名● ページ名
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【銃データ】 ごぼうサーバでは銃器を導入しています。銃で戦闘の幅が広がります。 ハンドガン 最初に手に入れやすい銃器です。 武器名 説明 装弾数 弾薬 射撃方式 練習用ハンドガン ゴボウコーポレーションが独自に開発したハンドガンの練習用モデル。 15 土 セミ G21C オーストリアのGlock社が開発したハンドガンの大口径モデル。 13 土 セミ FN Five-seveN P90用のサイドアームとして開発されたハンドガン。 20 丸石 セミ Colt SAA 古代の遺跡から見つかった図面を元に製作されたリボルバー。 6 火薬 セミ Dual Beretta 砂を利用した弾を発射する二丁ハンドガン。 15+15(30) 砂 セミ PDW&ショットガン 特に近距離戦で効果を発揮する銃器です。 武器名 説明 装弾数 弾薬 射撃方式 MP7A1 速い連射力を持つSMG。精密度や連射速度が高い。 40 丸石 フル SR-2M Veresk 速い連射力を持ちダメージが高いSMG。精密度が低いがダメージが高い。 30 丸石 フル D.Defense 10ga. 赤石弾を使用した散弾銃。威力もあり、弾をばら撒ける。 2 レッドストーン セミ Remington 870 非売品のポンプアクション式のショットガン。ゾンビに対して200%のダメージ。 5 レッドストーン セミ AA12 フルオート式のショットガン。フルオート式ながら反動は少ない。リロードはやや遅い。 8 レッドストーン フル アサルトライフル&軽機関銃 特に近~中距離戦で安定した効果を発揮する銃器です。 武器名 説明 装弾数 弾薬 射撃方式 M14 DMR 古代の遺跡から見つかった図面を元に製作されたバトルライフル。 15 鉄インゴット セミ AN-94 GL 高速2点バースト機能を持つアサルトライフル。グレネードランチャーも発射可能。 30(メイン) 1(サブ) 石(メイン) TNT(サブ) 2点バースト(メイン) 単発(サブ) MG4KE 装弾数の多い軽機関銃。 70 トーチ フル M249Minimi 装弾数が非常に多い軽機関銃。制圧射撃に向いている。 200 丸石 フル AK47 アルカイダのアジトで拾った銃。安定した戦い方ができる。 30 鉄インゴット(1マガ) フル SCAR-H 最先端のアサルトライフル。一発一発が強力だ。 20 鉄インゴット フル AR-15 フルオート機能が排除されたM4A1の民間バージョン。20発マガジンを装備。 20 鉄インドット(1マガ) セミ スナイパーライフル 高威力でズーム倍率が高い銃器です。連射がきかないため敵との距離には注意する必要があります。 武器名 説明 装弾数 弾薬 射撃方式 Dragunov SVD セミオート式のスナイパー。ヘッドショットダメージが高い。 10 金インゴット(1マガ) セミ SNIPER R700 古代の遺跡から見つかった図面を元に製作されたスナイパー。 5 金インゴット ボルト バレット M82A3 セミオート式の対物ライフル。ダメージが高い。 5 金インゴット セミ Mosin Nagant 伝説のスナイパーが使っていたと言われている銃。 5 鉄インゴット ボルト FR-F2 フランスのGIAT社が製造する軍用狙撃銃。10発の装弾数が特徴。 10 金インゴット(1マガ) セミ その他 上記の種類に分類されない銃です。 武器名 説明 装弾数 弾薬 射撃方式 RPG7 ロケット弾を発射することができるロケット砲。 1 TNT 単発 クロスボウ 威力の高いクロスボウだ。暗視スコープも付いており弓より効率的だ。 1 矢 セミ AKB48 某アイドルグループのファンが作ったとされる銃。 96 丸石 48点バースト
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ペルシア侵攻 この項目ではラス・エラセド連合帝国によるペルシア侵攻について説明しています。そのほかの企画については過去企画を参照してください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。 System=話し合い ペルシア侵攻(英 Rookrian Aggression of Persia、統一歴171年)は、南アジアに位置するラス・エラセド連合帝国によるペルシアへの軍事侵攻である。 ペルシア侵攻 目次{[非表示] 1. 概要 2. 背景 2-1. 170年代初頭のオリエント情勢 3. 開戦 4. 開戦後の経緯 4-1. 侵攻開始 4-2. カラチ市攻防戦 4-3. カラチ沖海戦 4-4. イスラマバード攻防戦 4-5. イスラマバード航空戦 4-6. 171年雨季大反攻 5. バグダッド和平協定 5-1. バグダッドでの講和会議 5-2. バグダッド和平協定 6. 影響 戦争 戦争 年月日 2023年3月31日〜? 場所 ペルシア共和国領パキスタン 結果 ペルシア共和国側の実質的勝利 概要 推移統一暦171年のペルシア共和国における政権交代に端を発する、ラス・エラセド連合帝国による軍事侵攻。帝国軍は初め優勢であったものの、世界各国からの支援や無理な作戦計画などの要因で攻勢が頓挫し、反攻を受けて撤退する。帝国は領土要求の撤回などを強制され事実上の敗北を喫し、このことが172年元旦政変の遠因となったと考えられている。 背景 170年代初頭のオリエント情勢当時、「西方の共産主義者の打倒」「レグルスの解放」をイデオロギー的目標に掲げるラス・エラセド連合帝国は、しかして新ソ連との陸上国境を持たず、未だ目標達成のための有効な手立てを打てずにいた。帝国と新ソ連の間に存在するのは、かつて中央アジアに存在したある王朝の崩壊ののち成立した、イラン、アフガニスタン、パキスタンを領土とする中立的な国家、ペルシア共和国である。統一暦171年、ペルシア共和国選挙において左派の野党労働党が勝利し、党首モハンマド・アブディが大統領に就任すると、ペルシアは新ソ連寄りの外交を展開しはじめる。隣国が仮想敵の勢力圏に収まるのを嫌った帝国は苛烈な政治工作を展開するが、ことごとく失敗。むしろいくつかが明るみに出て反帝国感情を高める結果となってしまう。 開戦 ペルシアに対する諜報作戦の失敗のために、威信をかけて後に引けなくなった帝国は、パキスタンおよびアフガニスタン地域においてデモを扇動し、これに参加した地元住民をペルシア軍内のスパイに殺させて事件を偽装、こうした地域の住民をアブディ政権の圧政から解放することを名目としてペルシアとの戦争を開始する。 開戦後の経緯 侵攻開始4月3日、帝国軍は虎の子の機甲師団を運用し、北部パンジャーブ地方の平地から電撃的に侵攻を開始、開戦初日にはラホール市、5日でムルターンまで進撃した。しかしその後、ヒンドゥークシュ山脈を利用した徹底的な防衛戦闘によって、戦線は膠着する。この戦争への介入を表明した新ソ連陸軍が開戦3週間後には前線に到着し始め、兵器などの支援はそれよりさらに早くペルシアに届けられた。開戦2ヶ月後にはイットリカン民主主義国による義勇軍・レンドリースや、クリーニングラード出張国によるCp-98シリーズやUCG-5E2アサルトライフルの供与といった支援が届き始め、防衛体勢はさらに頑強なものとなり、新ソ連軍主導での逆攻勢すら実施された。後述する都市部への攻撃を除いては、帝国軍の攻撃はもはや人員と装備をすり減らすだけになりつつあった。さらに、帝国軍は国粋主義国家の悪弊にも悩まされる。つまり、軍組織自体の現地住民軽視の性質である。民間インフラの復旧が無視されるのは当たり前で、徴集・徴用もごく一般に行われた。これによって、占領地の市民感情は悪化。レジスタンス運動は非常に活発に行われ、補給物資は頻繁に襲撃を受ける上、帝国側の情報はペルシア側にその多くを抜き取られることとなる。 開戦後の侵攻ルート参考図 カラチ市攻防戦ペルシア側連合軍は、バルーチスターン州東部のベラ市を含む湿地帯への入り口であり、東西南北の交通の結節点である大都市、カラチ市に防衛陣地を構築していた。帝国軍は、カラチ市と西方をつなぐ道路を強襲上陸によって遮断し、海上封鎖を実施することで、カラチ市を包囲することを企図する。帝国軍は、強襲上陸には成功し、陸上での封鎖を完成させるものの、カラチ沖海戦での敗北によって、海上封鎖には失敗してしまう。さらに、陸上での封鎖も現地レジスタンスによって不完全に終わったために、包囲は事実上の失敗となってしまう。にもかかわらず、侵攻軍は上層部に作戦成功と報告したことで、カラチが包囲下にあると判断した司令部によって度重なる市街地への攻撃が敢行され、帝国軍はさらに戦力をすり減らすこととなる。 カラチ攻略作戦概要図 カラチ沖海戦カラチ沖海戦は、カラチ市の海上封鎖中の帝国艦隊に、ペルシア・新ソ連・IRISの連合艦隊が攻撃を仕掛ける形で始まった。結果的に、帝国海軍第一艦隊(帝国象徴艦隊)は質だけでなく物量においても劣勢に立たされ、少なからぬ旧式戦艦と巡洋艦、駆逐艦を失い、さらにその他の艦にも大小の被害を受けて敗北し、封鎖を解くこととなる。 第一艦隊旗艦「ディー・カイゼリン」 イスラマバード攻防戦カラチでの戦いと時を同じくして、北部イスラマバードでも帝国軍による攻勢作戦が発動された。市街に立て篭もるペルシア側連合軍に対して、帝国軍は航空戦力を集中させることで、戦争開始以来一貫して劣勢だった航空戦をイスラマバード上空においてのみの局地的優勢とし、同市に対する爆撃をもってこれを攻略せんとした。実際、イスラマバード市を占領し、近郊の空港の奪取に成功すれば、戦域全体の空の戦況の改善も見込めたため、ある程度合理性のある戦略であったーただし、この作戦の成功を前提としてだが。現実には、帝国渾身の爆撃作戦は、まず前提の局地的優勢から破綻した。あまりにも帝国空軍が弱体すぎて、ほぼすべての航空戦力をかき集めても作戦行動に十分な戦力とならなかったのだ。見切り発車で行われた爆撃作戦は、イスラマバード上空での航空戦に発展する。帝国はこの航空戦に敗北したものの、陸上戦力の大規模な投射によって強引にイスラマバード市を奪取する。 イスラマバード航空戦イスラマバード上空での航空戦は、ペルシア軍の骨董品のようなレーダーが帝国軍機の侵攻をとらえたところから始まった。帝国空軍は常に致命的な予算不足の状態にあり、ステルス機を作ることができなかったためである。はじめ量的優勢でペルシア軍機を圧倒していた帝国軍だったが、まずI.R.I.S.空軍、つづいて新ソ連空軍が増援として到着したことで、未だ量的優勢をかろうじて保持していたものの、それによって質的な差を埋めることができず敗北する。 171年雨季大反攻8月4日、早暁とともにペルシア・新ソ連の連合軍の反攻が開始される。開戦当初、国力的な問題でごく少数の機甲戦力しか保有していなかったペルシア軍は、前述のクリーニングラードやイットリカンによる兵器支援、統合国家ファントムによる主力戦車や装輪ロケット砲の供与によっていまや帝国軍を遥かに凌ぐ規模の装甲兵力を抱えていた。一方の帝国軍は基本的に圧倒的な人口に飽かせた人海物量戦術であり、その歩兵戦力はペルシア軍の用いるファントム製ロケット砲になす術なく薙ぎ倒されていくこととなる。それでも肉壁を代償として1ヶ月ほど戦線を維持したものの、凄まじい損耗によって新兵ばかりになり指揮官も不足した帝国軍では脱走や敵前逃亡が頻発、9月中旬には前線を支えきれなくなってしまう。10月中旬には前線はほぼ戦前の国境線まで後退したものの、自国領に入ったことで帝国軍の補給事情が改善し、防衛が安定。ペルシア共和国の財政状況の悪化もあり、ここで和平が結ばれることと相成った。 終戦時の前線 バグダッド和平協定 バグダッドでの講和会議和平条約は、帝国にとって屈辱的なことに新ソ連領内バグダッドにて行われた。和平内容は次のとおり。 バグダッド和平協定・ラス・エラセド連合帝国とペルシア共和国の間の国境は5月3日以前の両国統治領域の境界線であることを両国が確認する。・ラス・エラセド連合帝国は、ペルシア共和国が独立した主権をもつ国家であることを承認する。・ラス・エラセド連合帝国は、パキスタン地域およびアフガニスタン地域がペルシア共和国の正当な領土であることを確認する。 影響 帝国とペルシアの間には白紙和平が結ばれ、この戦争は対外的には引き分けとなった。しかし、戦後の状況を考えると、これはペルシア側の完全勝利であった。この侵攻の失敗によって、帝国政府、特に帝室は動揺し、さらには、帝国に対するシェラルドによる国内の反政府勢力への支援もみられた。これらのことは、帝国における統一暦172年元旦政変の要因となってしまう。一方、ペルシア共和国大統領モハンマド・アブディは救国の英雄となりその支持率は著しく上昇、掲げていた社会主義政策を完遂した上、今戦争での新ソ連への軍事通行権をそのまま維持することで、完全に新ソ連側の社会主義国家を建設した。また、この戦争中両国に武器を売りつけていたサンセリフ連合は金銭的に莫大な利益を得るが、帝国からは「死の商人」と悪評を得ることとなる。もっとも、この評価は事件によって覆されることとなるのだが。 Resources クリーニングラードによるペルシア共和国への供与兵器一覧 + ... Cp-98P軽戦車 Cp-98SPG自走砲 UCG-5E2アサルトライフル 統合国家ファントムによるペルシア共和国への供与兵器一覧 + ... EWL-MBT type 02 Mk.3 mod.2 主力戦車 EWL-TR-SPA-R type 02 Mk.1 mod.0 装輪自走ロケット砲 戦争統計 参戦国 帝国軍 ルクレフ朝ラス・エラセド連合帝国 ペルシア側連合軍 主戦国 ペルシア共和国 共同参戦国 新ソ連 兵力派遣国・兵器支援国 イットリカン民主主義国 クリーニングラード出張国 統合国家ファントム IRIS 支援国 帝政シェラルド 死の商人 サンセリフ
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注意:このページには事実、史実と異なる内容が書き込まれている可能性・作者の都合のいいように改変された記述などがあります。 情報 国家 ソンガイ・イスラム社会主義共和国 略号 SISR 元首 アスキヤ・ダアマバル 人口 約8200万人 広報 ポロニア製戦車採用、PT-18Sと命名 武装人民陸軍は次期主力戦車としてポロニア・リトウスキ共和国製戦車「PT-18 Husaria」を自国仕様に改装した「PT-18S アル=ママーリク」を採用したことを発表した。本車は50口径140㎜砲を装備しており、市街地戦での取り回しに欠けるものの、長大な射程が要求される砂漠や平野での戦闘において有効と判断された。 市街地戦には従来のT-72Sカナフェゾンが投入される。 駆逐艦「フーム・アルバ」就役 武装人民海軍は2月15日、不足気味だった汎用駆逐艦の穴を埋める目的で建造されたフーム・アルバ級のネームシップが就役したと発表した。本級はボラマ級強襲揚陸艦に搭載されたのと同じレーダーを装備しており、開発コストの低減に努めている。 強襲揚陸艦「ボラマ」、哨戒艦「ナシル」就役 武装人民海軍は1月30日、遠征打撃群に所属する予定のボラマ級強襲揚陸艦の一番艦「ボラマ」と、近海警備を務めるナシル級哨戒艦一番艦「ナシル」が就役したと発表した。ボラマは上陸用の舟艇とヘリコプターの他に垂直離着陸が可能な戦闘攻撃機を搭載する事が可能で、現在同型艦の「エンパーダ」の建造が進められている。 BB006「アスキア・ムハンマド1世」就役 武装人民海軍は12月10日、遠征打撃群に所属する戦艦「アスキア・ムハンマド1世」が就役したと発表した。本艦は全長290mの船体に4連装主砲4基を搭載しているが、新機軸のレーダー管制射撃装置によって測距儀が廃止され、従来の戦艦とは一線を画した艦影となっている。 政治 イデオロギー イスラム教社会主義 民主的 ----◆---- 独裁的 政治的左派 ----◆----‐ 政治的右派 開放社会 -----◆--- 閉鎖社会 自由放任経済 ------◆-- 中央計画経済 志願軍 ----◆---- 徴兵軍 タカ派 ---◆----- ハト派 介入主義 ----◆---- 孤立主義 +... イスラム教社会主義と我が国の政治制度 我が国はイデオロギーとしてイスラム教社会主義を掲げている。これはリビア革命指導者カダフィの「緑の書」でも採用されている。緑の書で挙げられていることは「民主制の問題の解決」「経済問題の解決」「第三国際理論」である。 代議制民主政治では多数の国民よりも少数の団体の利益が優先される多くの事例が存在し、その対処としてジャマーヒリーヤ(直接民主制)が考案された。これは各戸、各組織から出席する議員人民で構成される人民会議を基本単位として、468のマハッラ(市町村)の基礎人民会議を34のシャアビーヤ(県)の地方人民会議がまとめ、その上に各マハッラ・シャアビーヤの人民会議からそれぞれ1名、各職能単位で代表者を選んで構成し基礎人民会議と地方人民議会で議会の決定を受けて政策執行を司る各人民委員会から1名(大学生の委員会もあり)合わせて約1000名に上る議員人民で構成される全国人民会議が議会として機能しており、さらに国会議長にあたる全国人民会議書記が存在する。内閣にあたる全国人民委員会各書記(大臣に相当)は全国人民会議で選出され、首相(内閣総理大臣)にあたる全国人民委員会書記が全国人民委員会を構成している。なお軍隊に相当する武装人民は全国人民会議から独立しており、革命時のメンバーで構成される革命委員会が掌握している。リビアではイスラーム法を基にした「人民主権確立宣言」が憲法として機能している。 経済問題では「見えざる手」のような自由放任を基調とする自由主義経済も中央の定めた計画経済を基調とする共産主義経済も究極的には人民の自由と権利を阻害するものだとして「アラーの社会主義」を掲げた。私有財産制度と自由競争を認める代わりに累進課税による高負担高福祉制度を通じて極端な貧富の格差を是正することによって「神の前の平等」「弱者救済」といったイスラームの教義の実践に努める。 第三国際理論では東西両陣営から距離を置く第三世界にあるべき理論として定められた。カダフィの緑の書ではこれにアラブ民族主義が掲げられていたが、他民族入り乱れるわが国では代わりに国民を統合する象徴をアラブ民族ではなくイスラーム教とした。 政党 ヨーロッパ流の政党を基本とした政党政治を採用しなかった我が国では政党の存在に関する規定はなく、有志によって立ち上げられた政党が存在している。現在全国人民会議の事実上の与党は政治保守、経済左派のイスラム社会主義人民党が662議席を獲得、野党は主に人民協同党、ソンガイ共産党、スンニ社会民主党その他少数政党を含め合わせて338議席を占めている。 宗教 イスラム教は他宗教に対し寛容であったとの憲法の記述から信教の自由が保障されているが、イスラム教は国営モスクが各地に存在するのに対し他宗教のモスクは助成金が支給されるのみである。宗教の割合はイスラム教が97%、キリスト教が2%、その他現地宗教がある。 経済 高い合計特殊出生率に裏打ちされた安価で豊富な労働力を背景に国営企業が鉱山や油田から得た資源を輸出し、その利益から病院や学校、公営住宅、社会保障を無償で提供している。市場経済を部分的に導入しており、いくつかの私営企業が僅かに存在するが、定期的に労働省からの監査が入る上、私営企業や高所得者には法人税や所得税が高い税率(65%)で設定されている。 労働三権(労働団結権、労働争議権、団体交渉権)が憲法で保障されているが、憲法には労使交渉の仲介役として最終的に国家が介入する旨が明記されており、労働組合側にはストライキ手法の提案、経営者側には賃上げへの見返りとして税制をはじめ多岐にわたる優遇措置の提案が為される。 富の再配分を通じて購買力のある中間層が成長したことで、外部需要への依存から内部需要依存型経済への移行も進み、目覚ましい経済成長を遂げつつある。 農業・漁業は主にニジェール川などの河川に沿って繁栄しており、また干ばつに備えて多くの貯水場が設置されている。インフラの発達が遅れている地方では発達した河川を利用して自家用水上機が利用されている。多くは政府が規格を決めて大量生産されたカダム・ワジャナフ社製Qw1であり、大量生産により比較的安価な値段で購入することができる。 歴史 +... 地域概要 人類誕生の地となったこの大陸だがほとんどは文字を持たず民族の口伝も移動や離散によって欠けている箇所があるため全体としての歴史は未だ解明されていない。 ナイゲル盆地はギニューイア山地から注ぐ大きく湾曲したナイゲル川流域を中心に肥沃な土地と豊富な黄金の産出量から歴史上数多の国家が勃興する地域となった。 古代 紀元前4世紀には農耕が始まり、ヤシ、コーヒー、イモ類の栽培が行われるようになった。さらに紀元前2世紀頃には鉄器文明が興り、ソンガイ人をはじめ多くの民族が岩石で出来た壁に囲まれた小国家を築いた。 イスラーム化 8世紀頃になると北部に進出してきたイスラーム勢力と岩塩と金を交換するサハラ砂漠縦断交易によってガーヌ王国が繁栄を極めた。11世紀には第15代国王のドカタ1世はムスリム商人に居住区を与えたが、貿易摩擦によってハアン人のムラビト朝に滅ぼされた。イスラームの布教自体はムスリム商人によって平和的に行われ、隊商以外にも法学者、歴史家など多数の人物が往来していた。歴史家で旅人のアル・ヤジィ―ビーはガーヌ王国について「黄金で飾られた王宮の王が各地の王を従えている」と記述している。 マラ帝国の興亡 ガーヌ帝国崩壊以後各地に諸政権が興隆し、ソンガイ人もナイゲル川中流域北岸のクーキャにザ王朝を建て、12世紀に北方のガオに新首都を建設したが、13世紀初頭にマンコワレ族が再び統一してマラ帝国が成立し、ソンガイ人の住むガオは帝国の支配下で繁栄した。14世紀にはマンサ・ムーサが皇帝位に就く。皇帝は習慣に従い摂政を立てた後メッカ巡礼に旅立ち、中途のカイロにて大量の金を喜捨して金の価格が下落したことが分かっている。 アラブ人旅行者のイブン・バントゥータが述べた通りマンサ王は交易路や国内秩序の安定に努め、帝国は文字通り黄金時代に入るが、14世紀末には秩序が失われ、南北の民族の侵入によって滅亡してしまう。 ソンガイ帝国時代 14世紀末、領土拡大によって中央集権体位性に綻びが見え始めたマラ帝国に於いてスンニ朝ソンガイはアリー・コロンの下で力を付け、次代のスンニ・マダウの息子スレイマン・マル王によって15世紀後半、ソンガイはマラ帝国から独立する。1464年にスンニ・アリー・ベルが即位するとベルはイスラーム教などの学問で栄えたトンブクトゥを攻略、マラ帝国末期に都市を占拠したトゥアレグ族を追放する。これ以降ベルは領土をさらに広げ、さらにモシ族、ドゴン族、フラニ族の襲撃を撃退している。1473年にはまだマラ帝国領だったジェンネを攻略し、領土拡張策をとったが1492年には死亡してしまう。 次に帝位に就いたスンニ・バルはイスラーム教を拒絶する政策をとると、都市部のイスラーム教徒は自分たちの権益が損なわれることを案じて敬虔なイスラーム教徒であったムハンマド・トゥレを指導者にしてスンニ・バルを破る。ムハンマド・トゥレは「強奪者」の意味を持つアスキアを名乗り、アスキア・ムハンマド1世として即位した。ムハンマド一世はメッカへ巡礼の旅に出、そして道中で立ち寄ったカイロのアズハル学院で統治の助言を受けて帰国、イスラーム教に基づいた官僚制度、軍隊、税制、農業政策を確立しまた神学校を立てるなどして改革者として後のソンガイ帝国の繁栄の礎を築いていくが、1528年に失明を理由として息子のムサらによって退位させられる。その後帝国は混乱し、1531年にはムサに代わってムハンマド2世が、1537年にイスマーイールが、と目まぐるしく帝位が交代し、1539年にイスハーク1世の代になって帝国の治世は安定するようになる。イスハーク一世はテガーザ塩鉱をサード朝モロッコから守り10年の間帝国を統治した。 1549年、アスキア・ダーウードが即位すると帝国は黄金時代を迎える。サハラ砂漠を縦断して交易に訪れる対象の規模は同時代のイスパニア船による大西洋交易を上回る規模に拡大した。ダーウードは学問・芸術を保護しまた救貧政策、モスクの修復なども行ったが、1582年にダーウードが退位するとまた帝国は混乱する。次のムハンマド3世(1582-1586)の時代にはテガーザ塩鉱をサード朝に奪われ、その後はムハンマド4世(1586-1588)、イスハーク2世(1588-1592)と王位継承争いが続くが、イスハーク2世の時代にモロッコとの間で生じたモキタザーワの戦いに於いて銃火器で武装したモロッコ軍に帝国の騎兵部隊が大敗するとモロッコによってトンブクトゥとガオを失ったソンガイ人は祖先の地を追われることになる。 ガリアの植民地に 大航海時代に入り交易の重点が内陸からナイジェリアなどの大西洋沿岸に移ったことでナイゲル盆地を拠点とした大帝国は勃興しなくなり、小王国が乱立するだけとなった。大西洋沿岸ではベニン王国やダホメ王国は戦争で得た異民族を奴隷として西洋諸国に売り飛ばす代わりに銃火器を手に入れ勢力を拡大した。 近代に入ると列強が資源と市場を求めて本格的に大陸に進出し始め、北西アフリカは「ガリア領スーダン」としてガリアの植民地となった。公用語はガリア語に取って代わられるなどして1958年までガリアの支配を受けた。 ソンガイ・イスラム社会主義共和国の成立 1958年になるとガリア共同体の構成国としてアスキア朝の血を引くタンニ・オカが王として統治するソンガイ王国が成立した。タンニ・オカ王のその次のタド・コロ王は先代に引き続きガリアとの関係を重視し、外国資本と手を結んで地下資源から得た利益で贅の限りを尽くす他、多くの男性奴隷を後宮に住まわせて囲う程度では飽き足らず一般人であるトゥーノ氏に性的暴行を加えるなど男色に耽った。イスラームの教えを守らず侵略者と手を結んで背教行為を重ねるタド・コロ王に対して民衆は徐々に不満を募らせ、1971年に起きたクーデターによってタド・コロ王は国外追放される。 クーデターの指導者アスキヤ・ダアマバルはソンガイ・イスラム社会主義共和国の建国を宣言、公用語をアラビア語とし、ガリア人領主を追放して残った農地と企業を国営化して得た利益を国民に分配し貧富の格差の是正に努める。その後東側陣営に接近するがイスラム教をめぐって宗教はアヘンだと唾棄するソヴェート連邦率いる共産主義陣営と対立、以降はソヴェートと対立するジョンホワ人民共和国との関係を深めることになっていく。 軍備(作業中、ツイッターに画像あり) 武装人民陸軍 +... BMP-2 戦車運搬用トレーラー テクニカル(ピックアップ) 高機動バイク Mi-35 PT-18S アル=ママーリク主力戦車 カナフェゾン主力戦車 アーシファ主力戦車 BTR-T クァタ歩兵戦闘車 BMO-T ジャハンナム火炎放射器部隊用兵員輸送装甲車 ウラル4320トラック 2A65ムスタ152㎜榴弾砲 ウラル4320トラック ロケット砲搭載型 ラント自走砲 ネイズコン36センチ自走砲 TOS-1 対空機関砲 ZU-23-2 ZSU-23-4自走対空機関砲 ブーク・レーダーシステム 武装人民海軍 +... ナシル級哨戒艦 N 艦番号 N 艦番号 N 艦番号 N 艦番号 1 OPV-001 4 OPV-004 7 OPV-007 10 OPV-010 2 OPV-002 5 OPV-005 8 OPV-008 11 OPV-011 3 OPV-003 6 OPV-006 9 OPV-009 12 OPV-012 ミサイル艇 5隻保有 艦番号 1 PG001 4 PG004 2 PG002 5 PG005 3 PG003 アラフィア級コルベット 16隻保有 艦番号 艦名 艦番号 艦名 艦番号 艦名 艦番号 艦名 1 DE001 アラフィア 5 DE005 サラム 9 DE009 クーメイラ 13 DE013 ソーンピ 2 DE002 ベール 6 DE006 バニカネ・ナラワ 10 DE010 レレー DE014 アラム 3 DE003 ブーレム・イナリー 7 DE007 ディアフンケ 11 DE011 ンゴクー DE015 ビンガ 4 DE004 ラフィア 8 DE008 フィット―ガ 12 DE012 ソブーンドゥー 16 DE016 ブーレム・シディ・アマル トンブクトゥ級駆逐艦 艦番号 艦名 1 DD001 トンブクトゥ 2 DD002 グルマ・ラルー 3 DD003 ニアフンケ 4 DD004 ディレ ガオ級駆逐艦 艦番号 艦名 1 DD005 ガオ 2 DD006 ブーレム 3 DD007 アンソンゴ 4 DD008 アルムストラ バンディアガラ級駆逐艦 艦番号 艦名 艦番号 艦名 1 DD009 バンディアガラ級 4 DD-012 ドゥエンツァ 2 DD010 バンカス 5 DD-013 コロ 3 DD011 ジェンネ 6 DD-014 モプティ フーム・アルバ級駆逐艦 1 DD015 フーム・アルバ 4 DD-018 ブージェベア 2 DD016 アシュラト 5 DD-019 グンダム 3 DD017 アルウーシェ 6 DD-020 テネンクー アミール・アダル・トマン級巡洋艦 艦番号 艦名 1 CL001 アミール・アダル・トマン 2 CL002 ウンティア・クテヴァイスツ ハーリド・イブン・アル=ワリード級巡洋艦 艦番号 艦名 艦番号 艦名 1 CL003 ハーリド・イブン・アル=ワリード 4 CL006 アンマール・イブン=ヤーセル 2 CL004 マリク・イブン・アシュタル 5 CL007 ハーシム・イブン=ウトバ 3 CL005 アブド・アッラー・イブン・アッバース 6 CL008 アブドゥール・ラフマーン・アル=ガーフィキー チャーイ・ルドマン 航空巡洋艦 艦番号 艦名 1 CLV-006 チャーイ・ルドマン オキヤマドヴァラン級戦艦 艦番号 艦名 1 BB001 アリー・コロン 2 BB002 スンニ・マダウ スンニ・スライマーン・ダアマ級戦艦 艦番号 艦名 1 BB003 スンニ・スライマーン・ダアマ 2 BB004 スンニ・アリー・ベル 3 BB005 スンニ・バル アスキア・ムハンマド1世級戦艦 艦番号 艦名 1 BB006 アスキア・ムハンマド1世 2 BB007 アスキア・ムーサ 3 BB008 アスキア・ムハンマド2世 4 BB009 アスキア・イスマーイール ニハ―ヴァンド級航空母艦 艦番号 艦名 1 CV001 ニハ―ヴァンド 2 CV002 ヤルムーク 3 CV003 カルタ―ジャンナ ガリーニャス型掃海艇 艦番号 艦名 1 MSC001 ガリーニャス 4 MSC004 ボラマ 7 MSC007 エダナ 2 MSC002 ウノ 5 MSC005 ソガ 8 MSC008 エヌ 3 MSC003 ロクサ 6 MSC006 ルバネ 9 MSC009 クーテ カザマンス級掃海母艦 艦番号 艦名 1 MST001 カザマンス 2 MST002 ガンビー 3 MST003 カシェウ アイ―ル級遠洋総合補給艦 艦番号 艦名 艦番号 艦名 1 SPL001 アンドゥカ=ン=タゲス 4 SPL004 タムガック 2 SPL002 アドラール・エガラ 5 SPL005 ニンバ 3 SPL003 バガザン カルム級ドック型揚陸艦 艦番号 艦名 1 LHD001 カルム 2 LHD002 ダカール ボラマ級強襲揚陸艦 艦番号 艦名 1 LHD003 ボラマ 2 LHD004 エンパーダ ディーブ=アル=バハル級攻撃型潜水艦 艦番号 艦名 艦番号 艦名 1 SSN001 ディーブ=アル=バハル 5 SSN005 アルムザスール 2 SSN002 サマカット・カルシュン 6 SSN006 プリフナーフトゥン 3 SSN003 アルハトゥ・アルカティル 7 SSN007 ハスーラ― 4 SSN004 メイガルドゥーナ 8 SSN008 アサッダ=アル=バハル 武装人民空軍 +... Su-27 J-31 BTS-1 Su-25 naq-1 政府専用機/爆撃機/対潜哨戒機 access ツイッター: @HusariaTalinn コメント 名前 コメント
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受験のため、しばらく活動を停止します。 大逐民国 대치쿠민국 의 페이지에 오신 것을 환영합니다! 大逐民国のページにようこそ! 大逐民国(通称:逐国)とは・・・ 朝鮮半島を実効統治する東アジアの共和制国家である。しかしながら38度線以北を北筑民主主義人民共和国と呼ばれる一党独裁体制の共産主義国家を名乗る集団に不法占拠されており、大逐民国歴1950年6月25日に武力による統一を掲げ、南侵を開始した・・・ 北筑民主主義人民共和国のページへ 同盟・条約等の申請はページ下部の申請用コメント欄にお願いします 同盟等の申請時は、下記の定義をしっかりお読みいただきますようお願いします +... 同盟国 国防に関する事柄が入っていること 友好国 平和的な内容であるかどうか。 お互いが協力できる内容かどうか 条約締結国 掲示した事柄に関してお互いが合意できる内容かどうか 国交の定義 外交関係を有しているかどうか !!注意点!! +... このページは 茶番好きによる 茶番好きのための リアル志向の かといって弾頭数などは全く気にせず 造形も微妙だが それでもなお ちょいとリアル志向を目指して 頑張っている ページです 弾頭数・水流装甲・弾種は ないものと思ってください 更新情報・お知らせ 2017/10/28 陸軍の装備を更新しました 2017/10/28 大逐日報・国防ニュースを更新しました ワールドデータが消えました・・・復旧に時間がかかってます。もうしばらくお待ちください・・・ 新兵器紹介のコーナー! 新兵器紹介のコーナーとは・・・新兵器紹介のコーナーである ご覧いただいた方々にはぜひ意見を書いてもらいたい次第です。てか書いてほしいです(切実) 準備中・・・ 各種連絡先 skype tiku1783 今日の訪問者: - 昨日の訪問者: - 国旗 国会議事堂前に掲揚されている国旗 地図 大逐日報 1951年1月4日 ついに国軍はソウルを放棄し、転進をすると発表いたしました。 これは、開戦初期に民間人への被害が大きかったことを教訓とし、早期に転進する事で、民間人への被害を最小化するというものであります。 しかし、我々の国軍は必ずや戻ってくることでしょう。 過去報道 +... 1950年6月25日 本日未明、北筑軍は宣戦布告なしで攻撃・不法南侵いたしました。 このことに対応すべく、国軍はすでに戦闘を開始しています。 また、同盟国を中心とした各国首脳は、北筑に対する非難決議を決定。 我が国に派兵を行っています。国民の皆さまには冷静に行動していただきますよう、政府から通達がありました。 1950年8月2日 今日午前10時、プサンには避難民が殺到しており、現地では食事も配られないという状況が続く中で 学徒護国団や学校、病院や食堂などが協力して大規模な炊き出しを行い、高齢者や子供たちを中心に食料を配給していました。 また、避難生活を送る中で暴力や略奪などが多数起こると予想されていましたが、開戦から今日の正午までに警察に入ってきた通報・処理件数は なんと2件のみだったようです。 さらに、多くの学生が学徒護国団に入りたがっており、近年減少傾向にあった国防意識がまた芽生え始めたと専門家は判断しています。 また政府は、近くに共産主義者やスパイと思われる人物がいるのならば、直ちに通報するように呼びかけ、通報しない場合は 国家保安法第10条、不告知罪にて処罰されると注意喚起しています。 1950年9月2日 本日、テグにて共産主義を掲げていた「南筑解放党」を「国家保安法」で摘発、すべての党員に死刑判決を出した。 この党は、ヴァーレス・イタリア人民共和国と密接な関係を持っていたようで、多くの銃火器が 党本部として使用されている建物の床で発見された。 彼らは大規模なテロを計画していたようで、近くの住民から通報が入り、摘発に至った。 以下が押収された武器である。 モシン・ナガンM1891/30 31丁 Ppsh41 13丁 38式歩兵銃 52丁 100式短機関銃 24丁 99式軽機関銃 11丁 1950年9月26日 本日、イ・ビョンマン大統領は、ソウルで行われた演説にて 「我が民族の統一に向けて、北進統一を掲げることが我が国の最善作であり また、我が国領土を不法統治している北筑労働党を排除することも重要である」 と話しました。 また、国防長官は 「大統領の意志を引き継ぎ、北進統一を唱えるものである。我が国は北筑を十分に相手できる水準まで 軍備を取り戻した」 と話しました。 また、昨夜は国軍将兵のためのアニメ上映会を行ったようで、人気タイトル数種類の1クール分を上映したようです 政府は、一般国民が銃を持つことは禁じられているとして、現在持っているすべての武器を警察に提出するように呼びかけた。 国民が銃器などを持っていることにより、略奪や殺人、北筑スパイへの武器供与にもなると説明し、いち早く警察に武器を提出するように呼びかけている しかし、陸軍はこれに反発。 国民が銃器を持つ事により、後方で起こるであろう北筑のスパイや浸透部隊等から身を守れるだけではなく、治安維持にも協力できると話している。 これに対してソウル警察署所長キム・スンギ所長は 「武器が敷かれているということは、いつ銃器乱射や、略奪行為が起きるかわからない、非常に治安の悪い危険な状態だ。一刻も早く武器を届け出ていただきたい」 と話していた。 1950年10月3日 政府は今日、国内で深刻なスタグフレーションが発生していると発表した。 経済政策を練ってはいるが、戦時中のためにあまりは効果はないとし、政府は国民に対して 「各自治体の食糧配給を待ってほしい。10分だけ」 と話していた。 農業者の多くはこう話していた 「今回の収穫量は、去年の3分の1にも至ってない。戦争だからまあ理解はできるが、それでもこれは苦しい。」 として、政府に新たな経済政策を要求しています。 1950年10月6日 本日、イ・ビョンマン大統領は、独自の国防戦略と経済戦略を発表しました。 「40年代中盤に大きく成長した電子機器分野を元に、輸出産業に力を注ぎます。そして全国各地にインフラを整備することによって、失業者は職を取り戻すでしょう。 我が国は現在戦争によって、多くの都市が破壊されている状態であるため、再開発計画を取り入れ、国家再建に努めることを約束します。」 と話していました。 しかし、多くの経済学者からは 「戦争がまだ終わっていないのにこのように慢心しているのはよく思わない。」 という意見が多くあり、現実的とは言えない雰囲気が流れています。 1950年10月11日 今日午後2時ごろ、前線の兵士を慰問するために初めて前線にボックスカー(補給トラック)が 初めて到着し、兵士からは「黄金馬車」として大変喜ばれていました。 ボックスカーの内容は、人気アニメ1クール分の無料上映と、人気ライトノベル8作全巻、そして 兵士たちの「嫁」の写真を配布するといった、士気を大幅に上げてくれるものでした。 前線で死を恐れずに戦う将兵にとっては、「嫁」の写真により、強靭無敵の兵士に様変わりしたことでしょう。 陸軍第2師団第1中隊に所属するキム上兵は言います 「俺・・・この戦いが終わったら、ケッコン(仮)するんだ」 また、海兵隊第1師団第2中隊所属のイ下士は言います 「感動で感動で・・・思わず涙が溢れてしまいました」 このように、多くの将兵に感謝されておりました。 1950年10月19日 逐国造幣公社の職員ら6名が、2年前から偽造紙幣を印刷して北筑共産党や南部軍に活動資金として提供していたことが発覚し、 今日警察が逮捕しました。 これらの職員は1年に約1200万ウォン程度を偽造し、架空の会社を設立した後に離散家族として資金を送っていました。 現在の新聞記者の月給が600ウォンであることを考えると、約1700年分のとてつもない額が偽造されていたことになります。 これらの職員は、逐国の経済を混乱に陥れるためにも市場に偽造紙幣を流通させたとも疑いを持たれており、 北筑労働党の関与の可能性もあり得ると見ています。 1950年11月30日 本日、国軍部隊がついにアンロッ河付近に野営地の建設が終了し、国軍将兵たちは休暇をとっています。 戦場でも、死を恐れない我が国軍の勇名と犠牲により、5ヶ月の長くも短かった戦争もやがて勝利を目の前にしております。 北筑共産党や傀儡人民軍等は続々、逐満(逐国・満州)国境を越えて敗走しています。 この、UN軍最高司令官である「シーチブ・フィルホロ―中将」は、UN軍全部隊に対して引き続き攻勢を続行するようにとお伝えになられました。 国軍将兵の皆さん、ついに来ました。ついに統一が目の前に来たのです! 1950年12月2日 昨夜、UN軍最高司令官総司令は、ヴァーレスイタリア人民共和国による参戦が虚無の情報であると断定しましたが、 各地でヴァーレスイタリアの兵士が目撃されており、混乱した戦闘が行われているようです。 また、脱営兵も多く存在しており、脱営の疑いのある兵士を目撃した場合、すぐさま警察が憲兵に申告してほしいと 国防部は発表しました。 1950年12月19日 国軍とUN軍は、ヴァーレスイタリア軍による攻撃により大損害を被り、フムナンで民間人とともに脱出をいたしました。 また、38線以北に残っていた国軍部隊とUN軍部隊は、ピョンヤンを手放して南方に『転進』しております。 これについて、イ・ビョンマン大統領は 「38線以南の土を絶対に踏ませないという硬い意志で、将兵らは結束している。敗北することはない。」と仰っております また、ヴァーレスイタリアとの関係については 「戦況が落ち着いた頃に、バンクス・イタリアと会談をするつもりだ。」 と仰り、外交的に多くの手助けをもらうだろうと話しておりました。 1951年1月1日 新年が明けました。 イ・ビョンマン大統領は、戦況が悪化していく中、テグで新年の挨拶を行いました。 ぺク・チャンソン記者の報道です 「大韓国民の皆さま、私が本日、ここで新年の挨拶を行うというのは、北筑傀儡集団が卑怯な手を使い、この小さな半島国家の紛争を、国際戦にまで広げようとする 邪悪な共産主義集団のせいです。 本来私は、今頃チョンファデ(注1)で記者たちから質問を受けていたところにありましょう。 しかし、私はここ、多くの学徒兵が自分たちの意志で集結したこのテグ駅前広場で、挨拶をしています。 よくよく記憶を振り返ってみると、1950年の6月25日以前からも、大小の間諜事件(注2)や、武力挑発が行われてきました。 国民の皆さまはひもじい思いをされていることでしょう。 将兵皆さまも、いつ家族の元へ帰れるのか、心が平穏な日が訪れるはずがありません。 これらは、共産主義という脅威の中で、どれほど我々自由主義諸国が結束して対抗できるかという・・・」 このような演説を18分続けた後、学生らの政治運動の列に加わり「北進統一」「滅共統一」等の旗を掲げ、総4kmを行進なさいました 注1 青瓦台の読み方、韓国大統領府、ソウルに位置する 注2 スパイの事を間諜という。いわゆるスパイ事件 国防ニュース 1951年1月4日 ソウルを防衛していた陸軍第9師団と海兵隊第2師団は、ソウルを放棄して後退をすることを決定した 過去報道 +... 1950年6月25日 北筑人民軍(以下人民軍)は、本日午前4時頃、我が国領土に向け砲撃を開始し 同時に約300両の戦車を筆頭に南侵してきています。 休暇中の将兵は、直ちに所属部隊に復帰し、学徒護国団はその地域の避難活動を 開始してください。 また、「同盟国および関係国による対北筑非難決議により決定した派兵部隊」以下UN軍が プサンに上陸する予定です。 我々国防ニュースは最新の戦況を視聴者の皆さまにお届けいたします。 1950年7月28日 ポハンにて、学徒兵が単独で女子中学校を防衛しているとのことです。現在国軍が支援に向かい、ケストレル軍も到着。 洛東河戦線は血の海という表現が合う悲惨な戦況だそうで 済州島では対空・対艦警戒が強まっています。 また、ポハン女子中学校で死亡したオ・ジャンボン中隊長学徒兵はこのような手紙を残しています お母さんへ送る手紙 +... ソウル中央中等教育学校 学徒兵オ・ジャンボン お母さん 私は人を殺しました。 それも石垣一つを間に置いて 10人余りはなるでしょう 私は二人の特攻隊員と共に 手榴弾という恐ろしい爆発武器を投げて 一瞬に殺してしまいました 今この文を書いている瞬間にも 耳の中には恐ろしい轟音でぎっしり埋まります お母さん 足が離れて行って 腕が離れて行きました あまりにも苛酷な死でした いくら敵だけど彼らも人だと考えたら、 さらに同じ言語のような血を分けた 同族だと考えるから 胸が苦しくて重いです お母さん 戦争は何故しなければなりませんか? この複雑で苦しい心情を お母様にお知らせしなければ 私の心が沈みそうです 私は恐ろしい気がします。 今、私のそばでは数多くの学友・戦友らが 死を待つように多少飛びかかることを待って 熱い日光の下、うつ伏せになっています。 書いた沈黙を守っています。 いつまた飛びかかるかも知れません 敵兵はあまりにも多いです。 私たちはやっと71人です もうどうなるのかを考えれば恐ろしいです お母さん はやく戦争が終わってお母さんふところに抱かれたいです 昨日私は下着を自ら洗って着ました 私は清潔な下着を着て 私は2つ考えました お母様が洗って下さった白玉のような下着と 私が洗って着た下着を話です ところで私は清潔な下着を着替え なぜ寿衣を考え出したのか分からないです 死んだ人に着替えさせる衣装の話です お母さん もしかしたら私が今日死ぬかも知れません。 あの多かった敵らが そのまま退きそうではないからです。 お母さん、 死が恐ろしいのでなく お母様も兄弟らも会えないと考えると恐ろしくなるのです だが私は生きていきます 必ず生きていきます お母さん いまやっと心が安定します お母さん 私は必ず生きて、またお母さんのそばに行きます サンチュの葉が食べたいです。 そして森の泉の人が冷えるように、冷たい冷水を ぐいぐいと限りなく引き寄せたいです。 お母さん やつらがまた差し迫るようです。 また書きます お母さん、アンニョン...アンニョン... なんとまあ安寧ではありませんか また書きますから..... それでは....のちほどまた........... 注: 特攻隊員=学徒兵の中には、陸軍特攻隊の訓練を受けたものもいた アンニョン=バイバイ・さようならの韓国語 1950年8月31日 本日、UN軍と国軍は仁川上陸作戦において成功を収め、海兵隊がソウルを奪還しました。 また、洛東河戦線においてはオペレーション・タングステン(タングステン作戦)を実行、 各戦域にて勝利が報じられています。 1950年9月24日 国軍とUN軍は、38線から700メートル後方に防衛陣地を構築しており、人民軍からの攻撃に備えているようです また、国軍第11機械化師団は、戦車と装甲車の追加を要請。 プサンの未来重工業の工場が生産を担当するようです 1950年9月29日 ナクトンガン戦線の東部戦線721高地にて、8月21日に負傷者による殺害事件が起こっていたことが 今日、憲兵に対する取材で分かった。 8月21日に治療を受けた故キム・スンチョル(17)一等兵は銃器を掃除したいというので、分隊長のヤン・ギムテ下士官が M1ガーランド小銃を持ってきたという。この時点では弾が込められたクリップは入っておらず、見舞いに来た分隊員の弾帯から抜き出したと同じ分隊員が証言している クリップを装填したのちに、意識不明の負傷者や、苦しんでいる負傷者を優先的に撃ったとその場にいたヤン・ギムテ下士官が証言している また、7発撃ったのちに小隊員にも銃を向けたが、発砲はせずに自分の顎に銃口を当て、こう叫んだという 「戦友よ!さらば!」 そして発砲音とともに、頭蓋骨と脳が噴き出たという これを陸軍憲兵は「戦友愛事件」と呼んでおり、戦友のために、彼らを撃ったことを永遠に忘れないだろうと話している 1950年10月1日 本日、国軍(逐国軍)第3師団は、単独で38線を突破し、統一に向けた反撃を開始した。 陸軍第3師団は、洛東河戦線で北側の防衛を任されていたこともあった。 さらにポハン女子中学校攻防戦においても、学徒兵とともに大きな戦果を収めたこともあり、非常に優秀な部隊と評価を得ている。 これにUN軍連合参謀司令部は、まだ何もコメントがない。 しかし、一週間もすればUN軍も北進を開始するだろうというのが、国防部の予想だ。 1950年10月3日 本日、UN軍も38線を越え、ついに統一に向けた本格的北進が開始された。 国軍も現在快進撃を続けており、北筑の首都であるピョンヤンにも、残り2週間程度で到着する予定だ。 1950年10月10日 現在東部戦線ではウォンサンに上陸し、12時33分にウォンサンを陥落させたと国防局から発表があった。 中部戦線でも敵に対して爆撃が激しくなっており 後方の軍需工場の稼働率は18パーセントとなっており、 引き続き、攻勢を仕掛けている。 1950年10月20日 ついに激戦の末ピョンヤンを占領し、北筑人民軍は敗走している。 さらに、ピョンヤンのほとんどの住民はUN軍や国軍を歓迎しており、この理由として、 多くのサンモリ教・ヨジャン教の信者が、ようやく堂々と宗教活動をできるという 理由があると考えられている。 何にしろ、統一への回廊は霧一つ、石ころ一つなしにまっすぐ伸びている。 1950年10月21日 約一週間前から、短機関銃や手榴弾で武装した武装共匪どもは、チリ山にこもり 罪のない善良な村民に対して脅迫をし、食料を貰っていたことが通報によって発覚した。 国軍第29師団は、対パルチザン掃討作戦を開始し、周りの住民には避難が指示された。 武装共匪は以下の武器を所持していると報告されている。 略奪品 ○ M1ガーランド 半自動小銃 ○ M3A1グリースガン 短機関銃 × PPsh41 短機関銃 ○ M1911 拳銃 武装共匪は住民を害する恐れがあるので、見かけても絶対に近寄らないようにと呼びかけている。 1950年12月1日 本日、国軍第29師団はチリ山での対パルチザン作戦を完了し、武装共匪49名を全員射殺したと発表があった。 南部軍を自称していたこれらの武装共匪は、地域住民を脅迫して食料などを提供されていたようで、 一部の共産主義者もこれに積極的に加担していたとして、9名の住民を裁判なしの死刑にかけたと言う。 近々、補導連盟(共産主義者などを自由主義・資本主義思想に矯正する国営の組織)に大規模な捜索が入る予定だ。 そして前線ではすでに休暇を取っている兵士もおり、統一間近と騒がれている。 1950年12月23日 かねてから転進を繰り返した我ら国軍は、ついに38線付近を防衛する準備を整えている。 また、海兵隊第2師団(清龍師団)の第3中隊が、単独での防衛作戦『清龍部隊作戦1号』を発行し、敵2個大隊を撃破。バンクスイタリアの新聞は、「鬼も駆ることができる海兵」と紹介し、その勇猛さを知らしめた。 1951年1月1日 新年が明けたとしても、敵は待ってくれない 陸軍第9師団は、38線付近の「395高地」と名づけられた半径6.2kmのこの高地をめぐり、数日間激しい攻防戦を繰り広げている 空軍もこの戦闘に参加しており、対地支援任務についている 東海(注1)上では、連日敵の上陸部隊を阻止するために、海軍第1・第2艦隊が警戒に当たっており 海兵隊は西部戦線で人民軍1個大隊に対し、1個中隊で敵を撃滅した 注1 日本海の韓国での名称 大逐民国の概要 国名 大逐民国 国家 愛国歌 公用語 韓国語(一部日本語・英語) 首都 ソウル特別市 最大の都市 ソウル・プサン 初代大統領 イ・ビョンマン 1948年~ 現大統領 イ・ビョンマン 1948年~ 初代国務総理 イ・ホンソク 1948年~ 現国務総理 イ・ホンソク 1948年~ 人口(1950年統計) 31,230,120人 通貨 大逐民国ウォン(KRW) GDP 200兆40億ウォン 使用バージョン 1.7.10 国歌「愛国歌」 大逐民国について 問:大逐民国?聞いた感じ日本の隣の国のようなイメージ・・・ 答:はい、完全にあの国をモチーフにしてます。現実ではいざこざがありますが、ここでは純粋に軍事部の一国家として活動していきます。 問:この国って、旅行先としてどうなの? 答:国民性として外国人には丁寧で親切な人が多いです。観光名所としては、東海岸では海水浴や新鮮な海の幸、中部地方では山がちな地形を利用したアクティビティや、少し離れた済州島では美しい海、スキューバダイビングなどのアクアレジャーが楽しめます! 問:この国って、辛い食べ物もの多いんでしょ?辛いの苦手・・・ 答:大丈夫です!辛いもの以外にも韓菓と呼ばれる伝統菓子や、冷麺などもあります!美食家には無視できないでしょう! 問:この国って、安全?いや治安とかじゃなく、安全保障的に 答:・・・まあ、軍がありますので、安全です() 問:北筑ってなに? 答:北筑民主主義人民共和国とは、朝鮮半島の38度線以北を不法占領している共産主義の武装集団です。国際的にも違法な国家であり、東アジアの平和を脅かしています。 産業について +... 1950年現在の産業は、主に電子機器・自動車・航空・造船業が主となっている。 電子機器については、1944年に起こった第4次IT革命にて、スマートフォン・PCの技術が飛躍的に向上し 国内のゲーム産業の約60パーセントはPCゲームが占めている。国内企業は市場を国内だけでなく、海外にも積極的に輸出している。 特に輸出額の多いバンクス・イタリア統帥国では、我が国産の電子機器・家電製品が常識となっている様だ。 軍需産業について +... 1919年、のじのじ国との戦闘が激化していく中、兵器はほとんどがのじのじ軍から鹵獲したり、民間企業単位で開発を進めたりしていたが、とても使用できる兵器が開発されないため、ほとんどを鹵獲品でしのいでいた。しかし、小火器に関しては、1911年に「M1911」や「M1 ガーランド」「BAR」などの小火器が開発されていき、いくつもの改良が施されながら使用されていった。 1926年からは、兵器の国産化を決意。国防部は経験を積むため、中戦車や軽戦車を大量に開発していった。 しかしながら、時代は主力戦車(MBT)の時代に移っており、性能もあまり満足するような物ではなかったので、急ぎ他国からMBTを輸入し、研究を進めた。 これによって製造が開始されたのが逐国軍主力戦車であるK1である。 しかしながら、高精度なパーツの生産が追い付かず、よりコストをダウングレードしたK48A1Cやより小型化されたK48A1Kを開発した。 しかし、自走砲はいくらたっても開発されないため、新型自走砲は輸入するという話も出ている様だ。 国内の軍需産業は近年、輸出にも力を注いでおり、代表的なのは中南北雛島連邦に輸出されたK202装甲兵員輸送車である。 このように軍需産業も国内の経済を支えている一つの分野になった。 政治について +... 大逐民国の政治体制は、 国民について +... 1920年~ 1920年代の国民の多くは農村出身であり、学校に行くこともままならない子供が非常に多かった。 理由は、のじのじ国との8・15運動や、和解後の混乱などで、仕事につかせる方が家のためになったからである。 さらに、このころは学校が十分に建てられていない頃だったため、それも原因の一つとして数えられている。 1930年~ 1930年代は、国家主義的テロ組織である「ドクチェ党」との戦争、そして国家保安法制定という中で形成された 反国家主義という思想が、国民の間には広まっていった。 特に高等学生から大学生の間では、政治の授業で過激な発言をするものが多くなったと言われている。 1940年~ 1940年代になってくると、第3次IT革命が起こり、一部の職場や公共機関ではPCが使われるようになった。 これによって、機械工学や電子機器類の専門知識をつけようとする国民が多くなり、高等学校進学を目指す学生も多くなった。 しかし40年代後半は、共産ゲリラによる攻撃と、北筑の建国等、離散家族を生む悲劇が起こったり 第一回逐国大統領選挙が中止されたりと、国内は再び混乱することとなった。 憲法・法律 大逐民国憲法 +... 第一共和国憲法と呼ばれている大逐民国初の憲法である。 現在公開はされていない。 重要法律 国家保安法 +... 反国家団体の構成(第3条)、及びに反国家活動の遂行(第4条) 反国家団体への自発的な支援とこれへの金品授受(第5条)、これを称賛・鼓舞する行為(第7条) 反国家団体構成員(スパイなど)の逐国内潜入・脱出(第6条) 反国家団体構成員との会合・通信(第8条)、これへの便宜供与行為(第9条)、その存在など国家保安法違反の状況を知りながら当局に通報しなかった行為(不告知罪;第10条) 特殊職務の遺棄(第11条) 他人を陥れる目的で無実の者を同法違反者として通報する行為(誣告処罰規定)、及び同じ目的のために法律違反の証拠を捏造・隠匿する行為(第12条) 近代史早見表 +... 1602年 朝鮮半島をイ・ソルギ将軍が支配。国名はセジョン 1700年 ユ・ヨンチュ第32代国王がシング国に対し侵攻。勝利に終わる 1835年 ユ・クムゲ第87代国王が失脚。国内はバラバラになり、村単位での生活に戻る 1842年 大陸から鉄砲や大砲などの火薬類が伝わる 1901年 イ・スウォンという国王の子孫が「李・共和国」を建国 1910年 のじのじ国が統治。イ・スウォンは済州島へ逃亡、島民によって殺害 1911年 のじのじ国から独立しようと共和国臨時政府が樹立(後に大逐民国臨時政府に変更)、これを8・15運動という 1912年 光復軍と呼ばれる民兵組織が形成されて行き、本格的な戦闘が始まる 1918年 のじのじ国と戦闘激化 1920年 のじのじ国と和解が成立。戦争が終わる 1923年 イ・ビョンマンが「大逐民国」の建国を提唱 1925年 大逐民国憲法が制定され、正式に建国される 1931年 国家主義的テロ組織「ドクチェ党」との8・5戦争が勃発。国内でテロが頻発する 1932年 8・5戦争が収束。すべてのドクチェ党指導者が死刑判決を受け、処刑される 1935年 国家保安法が制定される 1940年 第3次IT革命がおこり、超低性能PCが様々な用途で使われることになる 1943年 領土が公式制定される。 1944年 第4次IT革命がおこり、家庭用固定電話がほんの一部の高所得家庭に普及する 1947年 共産ゲリラによる攻撃が始まり、38線以北を占領される。 同年 共産ゲリラが建国。北筑民主主義人民共和国(北筑)が建国される 1948年 第1回逐国大統領選挙実施。しかしイ・ビョンマン大統領が中止し、問題になる 1949年 38線付近の高地を北筑軍が占領する戦闘が発生。陸軍は特別攻撃にて、これを撃破する 1950年 6.25戦争が勃発する 同年 仁川上陸作戦・オペレーションタングステンが成功となり、反撃に転ずる 関連企業一覧 企業名 分野 小宇(ソーウー)プレジシション 銃器類・火器管制装置・戦車砲等 小宇造船海洋 艦艇等 小宇大工業 車両・航空機・戦車砲等 未来重工業 車両・航空機・艦艇・レーダー等 大逐航空 航空機・レーダー等 リパブリック・ディフェンス 艦砲・機関砲・火器管制装置等 興亜自動車 車両 フォーゼ・アーツ 機関砲・レーダー 軍事情報 大逐民国軍は陸軍、海軍、空軍の三軍から構成されている。この三軍を指揮する最高統帥権者は、憲法第63条により大統領と定められている。 逐国の国防機構は大統領を頂点に、大統領を補佐する5つの国防機関である「国家安全保障会議」「行政安全部」「国務会議」「国家軍備管理部」 「国家安全企画部」と、 「国防部」から構成されている。 また、全国各地の中学校・高等学校・大学校には「学徒護国団」と呼ばれる学徒兵の組織があり、志願制となっている。 各種兵器の基本方針 +... 基本的には、「リアル」っぽいやつを作っていきます。 操縦席を設けたり、砲手・装填手席を作ったりして、実物と同じようにします。 造形に気を使って開発を進めています! 部隊配置図 緑=陸軍駐屯地・飛行場 水色=海軍軍港・基地・飛行場 肌色=空軍飛行場・基地 茶色=海兵隊駐屯地 海上にあるのは人口海上基地・飛行場 軍歌集 +... 陸軍歌 +... 滅共の松明 祖国がある 戦友よさらば 貴様と俺 陸軍特殊戦司令部歌 黒いベレー帽 海軍歌 +... 海へ行こう 海兵隊歌 八角帽の男 空軍歌 +... 赤いマフラー 学徒護国団歌 +... 学徒護国団歌 陸軍装備 +... 戦争状態にある我が国の要、民族の防壁 1925年の大逐民国軍創設以来、最も主軸を置かれてきたのが大逐民国陸軍であり、これからも発展していくと思われる軍である。 山がちな朝鮮半島の特性上、大規模な機械化戦力や大口径砲等はかえって足手まといとなる。そこで逐国陸軍の機械化師団では砲の威力を犠牲にして、エンジン性能を向上させるという対策を練っている。 歩兵に関しては、6.25戦争で山岳戦闘や高地戦などの過酷な状況下での戦闘を経験したこともあり、実戦経験も豊富だ。 装備はサスペンダーと弾帯を基本とする装備で、ヘルメットに防弾性能はない。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 写真のように、Xタイプサスペンダーと弾帯にアムニッションポーチをつけ、ファーストエイドポーチ、キャンティーン(水筒)、銃剣をつけている。個人装備としては軽量なほうだ アム二ッションポーチには予備弾薬を、ファーストエイドポーチには必要最小限の包帯等を収納している様だ。水筒は0.9Lの容量で、アルミ製だ。 冬の季節になるとネックウォーマーと手袋が支給され、さらに戦闘服の上にも着こめる野戦上衣(通称:ヤサン)が支給される。 しかし、朝鮮半島の厳しい冬を越すにはこれだけでは不十分であるため、中には敵の被服を中に着込んでいる兵士も時々見られる 戦車 +... K1 +... 最高速度 65km/h 渡渉水深 2.1m (渡渉装備を付けた場合) 主武装 KM50A1 51口径105mmライフル砲×1 (47発) 副武装 K6 12.7mm重機関銃×1 (2000発) M1919 7.62mm重機関銃×2 (8600発) 乗員 4名 (操縦手、砲手、装填手、車長) K1は1945年に開発された初の国産の主力戦車であり、1948年から配備が開始されている。K1は小宇プレジシションの高精度なKM50A1 51口径105ミリ砲を装備しており、これは山がちな朝鮮半島の地形の特性上、交戦距離が短くなるという事や、アジア人の小柄な体格では120ミリ砲の連続装填などが困難だという理由があるようだ。副武装として車長用ハッチにK6重機関銃と、装填手用ハッチにM1919重機関銃、そして同軸機銃としてM1919重機関銃が装備されている。さらに車長用には2軸がスタビライズされた倍率3~14倍切替式の独立型パノラマ・サイトが装備されている。これにより砲手が目標を照準中に車長が次の目標を捜索、照準するハンター・キラー能力を有している。砲手用にはレーザー・レンジファインダー、熱線暗視装置が組み込まれた昼・夜間兼用サイトが装備されている。このサイトも2軸が安定化されており、昼間用は等倍と12倍の切替式、夜間用が2倍と10倍の切替式になっている。弾道計算機はデジタル式で、風向センサーと連動する高度なものだ。これは1950年代の逐国のコンピュータ技術では最新の技術を詰め込んでおり、整備に少し時間や手間がかかることが欠点とされている。 K1A1 +... 最高速度 49km/h 渡渉水深 2.1m (渡渉装備を付けた場合) 主武装 KM39A1 44口径120mm滑腔砲×1 (31発) 副武装 K6 12.7mm重機関銃×1 (2000発) M1919 7.62mm重機関銃×2 (8600発) 乗員 4名 (操縦手、砲手、装填手、車長) K1戦車はコストや整備等を考えなければ理想の戦車であった。北筑の戦車をあらゆる角度で貫通できる砲を備え、十分な防御力を持っていたからだ。しかし、6・25戦争に外国軍が介入してくると、それまで重視してこなかった砲の威力不足が露呈することとなった。これを重く見た国防部は、一部のK1戦車の主砲をそれまでの105mm砲から、120mm砲への換装を急かした。ただ、砲の威力と引き換えに搭載弾薬数と持ち前の機動性、装填手による砲弾の連続装填が困難だということがわかってくると、このK1A1は生産中止となり、西部戦線に3両が配備されたに終わった。 装甲車 +... K202装甲兵員輸送車 +... 最高速度 74km/h (浮航時7km/h) 主武装 K6 12.7ミリ重機関銃×1 (1900発) M1919 7.62ミリ重機関銃×1 (4200発) 乗員 3+10名 K202は1941年から運用されている逐国初の国産装甲兵員輸送車である。K202の車体は防弾アルミ製の全溶接構造で、前面下部と側面全体にスペースド・ラミネート式の増加装甲がボルト止めされている。この増加装甲の内部にはポリウレタン・フォームが充填されており、水上浮航時に浮力を増大する役割も担っている。主武装は銃手用キューポラに搭載された防盾付きのK6 12.7mm重機関銃のみだが、車長用キューポラにM1919 7.62mm重機関銃を装着する事もできる。兵員室は側面が斜めに削りこまれており、左右に各2基のガン・ポートとペリスコープが備えられている。K202は朝鮮半島の厳しい冬における運用試験をパスしたほか、72時間の連続走行テストなども行われ、軍幹部を満足させる結果を出した。 K202装甲兵員輸送車の派生型 +... K207 105mm自走砲 +... 最高速度 57km/h 主武装 KH113 105mm榴弾砲 副武装 K6 12.7mm重機関銃×1 (700)発 乗員 7名 (操縦手、砲手、装填手4名、車長) K207 105ミリ自走砲は、1950年の6.25戦争中に配備された国産自走砲である。K207は、その型番からわかるように、K202装甲兵員輸送車の派生型であり、車体はK202のものが使われている。K207は、戦場で撃破されるも運よく車体が残った個体にKH113 105ミリ榴弾砲を取り付けたもので、コストもかからず、また新規に車体を製造する必要性がないため、部品の共通化によって生産性が向上している。また整備の面でも、K202と共通している部分が多く、弾薬もKH113 105ミリ榴弾砲と同じ弾薬を使用するため、整備も補給も容易である。K202の機動性の高さも受け継がれており、同時期に開発されたK10 105ミリ自走砲と比較しても、機動性に関しては上回っている。しかし、防御力はK10を大きく下回り、装甲の厚さはK202と同様に最大38ミリと、重機関銃程度から身を守れるくらいにしかならない。しかし補給や整備の面から高い評価を得ており、戦果も十分な結果を出しているため、生産は続けられている。 自走砲 +... K10 105mm自走砲 +... 最高速度 51km/h 主武装 KM7 105mm榴弾砲 副武装 K6 12.7mm重機関銃×1 (1000発) 乗員 5名 (操縦手、砲手、装填手2名、車長) K10 105ミリ自走砲は初の国産自走砲である。1950年9月に配備が開始され、1950年現在、陸軍で53両運用されている。K10は火力支援を行える自走砲として、1942年から開発が進められてきた。砲手は無線から送られてきた座標を頼りに砲撃をするが、座標と方位さえ入力すれば適正発射角を割り出してくれるナビゲーターシステムもついている。構造自体はとても単純で、光学機器はほとんど使われていない。しかしオープントップなため、ホコリや砂、手榴弾などの投げ入れや、さらに市街地では上部から小火器で攻撃されるとなすすべがないという状況が起こりえるため、中隊によっては厚さ15ミリの鉄のカバーを乗せることをしている様だ。また、車体に傾斜装甲を採用したことで、ある程度の防御力を備えておきながら、素早い陣地転換が可能であることが高く評価されている。 K207 105mm自走砲 +... 最高速度 57km/h 主武装 KH113 105mm榴弾砲 副武装 K6 12.7mm重機関銃×1 (700)発 乗員 7名 (操縦手、砲手、装填手4名、車長) K207 105ミリ自走砲は、1950年の6.25戦争中に配備された国産自走砲である。K207は、その型番からわかるように、K202装甲兵員輸送車の派生型であり、車体はK202のものが使われている。K207は、戦場で撃破されるも運よく車体が残った個体にKH113 105ミリ榴弾砲を取り付けたもので、コストもかからず、また新規に車体を製造する必要性がないため、部品の共通化によって生産性が向上している。また整備の面でも、K202と共通している部分が多く、弾薬もKH113 105ミリ榴弾砲と同じ弾薬を使用するため、整備も補給も容易である。K202の機動性の高さも受け継がれており、同時期に開発されたK10 105ミリ自走砲と比較しても、機動性に関しては上回っている。しかし、防御力はK10を大きく下回り、装甲の厚さはK202と同様に最大38ミリと、重機関銃程度から身を守れるくらいにしかならない。しかし補給や整備の面から高い評価を得ており、戦果も十分な結果を出しているため、生産は続けられている。 トラック・多用途車等の車両 +... K111多用途車 +... 乗員 2名+2名 武装 M1919重機関銃、K6重機関銃等 K111多用途車は1940年に採用が決まった興亜自動車で生産されている車両であり、陸海空軍問わずに広く使用されている。K111はエンジンなどにも完全防水加工を施した完全防水車両で、約2メートルの水中走行が可能である。K111は無反動砲搭載車などの派生型も存在しており、設計の単純さなどから長く使用されそうだ。ちなみに将兵からは「ジープ」という名で親しまれている。 K111多用途車の派生型 +... K116 106ミリ無反動砲搭載車 +... 乗員 2名+2名(砲手、装填手) 武装 K49 106ミリ無反動砲 K111多用途車の派生型として最初に開発された支援車両。106ミリ無反動砲は旧式で、榴弾と榴散弾しか発射できないが、歩兵や非装甲目標に対しては十分威力を発揮するため、問題ないとされている。 支援車両・器材 +... K212 装甲回収車 +... 最高速度 67km/h (浮航時7km/h) 主武装 M1919 7.62ミリ重機関銃×1 (2000発) 乗員 3名(操縦手、無線手、車長) K212 装甲回収車とは、1950年12月に配備が開始された国産の装甲回収車である。型番からわかるように、K202 装甲兵員輸送車の派生型であり、戦場で故障した車両の修理や、軍用車両の回収を目的として開発された。それまで戦場での軍用車両の回収は、すべて他国軍に依存しており、この状況を打破するために本車が開発された。車体後方側面には汎用性の高いクレーンを装備し、車体後部にウィンチ、車体各所にはスペアパーツが大量に付けられており、あの広かった搭乗員スペースも埋まるほどにパーツが搭載されている。しかし予備エンジンを搭載することはできず、あくまでも応急処置的な意味での修理が可能なだけである。陸軍は1950年1月現在、K212用の車体を故障した車体から流用するのではなく、新品の車体を使うように要求している 海軍装備 +... 駆逐艦 +... 雪風級駆逐艦 +... 満載排水量 4800t 喫水 4.3m 主機 CODOG KFT39 ガスタービン 2基(5,3640馬力) TWTD 20Vディーゼル 2基(8000馬力) 速力 30kts 航続距離 1,2000km/17kts 乗員 185+101名(最大380名) 艦数 1番艦、2番艦、3番艦、4番艦、5番艦 雪風級駆逐艦とは、大逐民国初の国産駆逐艦となり、海軍で初めて運用が開始された船でもある。海軍が組織された当時の戦力は揚陸艇にK6重機関銃や、M1919重機関銃などを搭載した、いわゆる即席の警備艇とも言えない船を中心に使用したが、もちろんそんな戦力で海軍を維持させるのは到底無理だと海軍本部も感じていた。1937年、ADDN(国防科学研究所海軍部)は、未来重工業と小宇造船海洋に排水量5000t未満の大型駆逐艦を建造するように要請。これを受領した同企業は、1939年に建造を開始し、1945年末に進水して1年ほど試験を行った後、1946年に就役した。雪風級駆逐艦は、VLS(垂直発射システム)を搭載し、艦内の弾薬庫からベルト・コンベアで発射済みの弾倉を交換することができる「弾倉装填式給弾システム」を採用しており、戦闘中であっても約8分で再装填が完了する。艦載砲はリパブリック・ディフェンスの「KG5/13 62口径127mm砲」を搭載しており、陸上への艦砲射撃を重視した砲となっている。近接防御火器は、フォーゼ・アーツ「GAU-2/30mmCIWS」を搭載しており、強力な大口径で飛翔体を木っ端微塵にできる優れものだ。また艦後部には、ヘリ格納庫とヘリ発着甲板があり、格納できるヘリは2機となっている。1951年現在、合わせて5隻が就役しており、1965年までに合わせて20隻の建造を目標としているが、予算は割り振られていない。 空軍装備 +... 戦闘機 +... P-51B・ +... 最大速度 703km/h (高度7620m) 巡航速度 530km/h 航続距離 2655km(増槽有) 主武装 K6A4 12.7ミリ重機関銃×6 (1880発) 追加武装 各種爆弾・ロケット弾等 3180kg P-51Bは、1949年から1950年までの間に開発されたレシプロ戦闘機である。本機は、年々減少傾向にあった1940年代後半期の空軍の予算を節約するために、ADDAF(国防科学研究所空軍部)が設計を担当し、大逐航空と未来重工業が生産している戦闘機である。6.25戦争では、仁川上陸作戦後に配備が開始され、ウォンサン上陸作戦やピョンヤン攻略戦ではその汎用性を生かして開幕爆撃や、夜間攻撃・対地上支援などにも使用された、いわゆる傑作戦闘機である。1950年12月の配備状況は全航空隊合わせて33機であり、追加で120機と67機の生産滞納分を合わせると220機の大規模な航空戦力を有することとなる。 海兵隊装備 +... 外交関係 同盟・条約・国交申請用コメント欄 テスト -- ちく (2016-08-27 18 00 17) 逐ノ同盟の再締結?をお願いします。 -- のじのじ (2016-09-02 17 34 48) 名前 コメント 同盟国 国名 同盟名 同盟内容 中南北雛島連邦 逐雛相互軍事協定 当時国が攻撃を受けた際、もう一方の国は集団的自衛権を行使し当時国を守る義務を持っている バンクス・イタリア・ディ・ファシスティ 逐卵軍事支援協定 両国のいずれかが軍事行動によって攻撃された場合、2週間の準備期間を経て当事国に軍事的支援をする アルデラ帝国 逐亞相互防衛軍事同盟 シシ王国 逐獅相互防衛条約 軍事行動によって攻撃を受けた当事国は、直ちにもう一方の国へ通達を出し、通達を受けた国は迅速に医療・人道・軍事支援を展開する クラフティン共和国 逐倉相互軍事同盟」 両国はともに不可侵を厳守し、両国のうち一方が軍事行動によって攻撃された場合、もう一方の国は医療・人道・軍事支援を行う 夢幻帝国 逐夢相互防衛協定 両国のいずれかが軍事行動によって攻撃された場合、当事国に軍事的支援をする のじのじ民主主義軍事帝国 逐ノ軍事協定 相互防衛協定と両国不可侵を定めた同盟 友好国 国名 バンクス・イタリア・ディ・ファシスティ 条約締結国 国名 条約名 同盟内容 中南北雛島連邦 逐雛軍港共同運用協定 鬱陵島の軍港・海兵隊駐屯地、日本海近海の海上補給基地、ソクチョの軍港を共同運用する。すべての寝食を保証し、娯楽施設なども共同利用する バンクス・イタリア・ディ・ファシスティ 逐卵軍事技術交流協約 軍事技術の交流を活発にする アルデラ帝国 逐亞技術交流協定 シシ王国 逐獅軍民技術交流協定 軍事・民間技術の両方の交流を促進させる協定 シシ王国 6.25・南米戦線不適応協定 大逐民国と北筑民主主義人民共和国間で勃発した「6.25戦争」にシシ王国は南米戦争の収拾がつき次第、「逐獅相互防衛条約」を適用する。大逐民国は「6.25戦争」に収集がついたからといって、この同盟を適用させるものではない 夢幻帝国 逐夢民文化交流協定 民間単位での文化交流を促進する条約 夢幻帝国 逐夢自由貿易協定「逐夢FTA」 FTAを規定している のじのじ民主主義軍事帝国 逐ノ基本条約 民間企業単位の文化・技術交流や、朝鮮半島の存在する唯一の合法政府と認めることなどが盛り込まれている のじのじ民主主義軍事帝国 逐ノ貿易協定 基本的な貿易条項について規定している のじのじ民主主義軍事帝国 逐ノ海軍施設共同利用協約 のじのじ国のすべての軍艦は逐国海軍の軍港・その他施設を共同利用することができる 国交を有している国 国名 内容 中南北雛島連邦 鬱陵島(ウルルン島)に限り雛人はパスポートなしでも活動できる。 貿易船、定期航路の開設 バンクス・イタリア・ディ・ファシスティ 定期航路と貿易船、航空航路の開設。ただし冬期は航空のみである アルデラ帝国 シシ王国 航空路と船舶航路の開設 クラフティン共和国 航路の開設 夢幻帝国 航路の開設 のじのじ民主主義軍事帝国 航路・航空路の開設 仮想敵国 国名 敵国 国名 理由 北筑民主主義人民共和国 国家を分断し、東アジアと周辺地域の平和を脅かすため 質問・感想等、気軽にどうぞ! テスト -- ちく (2016-08-27 18 00 05) 我が国の軍事介入及び軍事的支援を北筑様にさせていただきたいとおもいますが、まだ間に合いますでしょうか。我が国の思想は、我が国以外の共産国家はすべて敵なので、どちらの立場でもなくただ介入させていただきます。 -- ヴラディノフ外相 (2016-08-27 19 40 14) 6.25戦争が長引いているようですなぁ...逐ノ同盟も締結したことですし、新鮮なまぐろ7トンと美味しい麻婆豆腐2000食、羊毛でできたベット200台の援助を行いますぞ!! -- のじのじ (2016-08-29 23 11 04) ご指摘いただいた表示は訂正しました。また何かあったらご連絡ください。 -- のじのじ (2016-09-25 08 59 43) 外交関係の欄の「のじのじ国」を「のじのじ民主主義軍事帝国」に変えて頂けると助かります・・・内容の欄での我が国の呼び方については略称で構いませんぞ( ⊙‿⊙) -- のじ (2016-10-05 01 38 46) 変更の件、ありがとうございました! -- のじのじ (2016-10-06 19 22 07) 生存報告 -- ちく (2016-12-07 18 46 17) なんなんですかこれは… -- ちん (2017-01-17 17 23 06) 名前 コメント 北筑民主主義人民共和国 북치쿠민주주의인민공화국!만세!!! 北筑民主主義人民共和国!万歳!!! 北筑民主主義人民共和国(通称:北筑)とは・・・ 1948年に建国された社会主義の人民共和国である!!! 南筑(逐国)は朝鮮半島38線以南を不当に統治し、我が共和国の安全を脅かしている。 また、1950年6月25日に我が共和国は「リー・ビョンマン」傀儡政府から先制攻撃を受け、 ついに我が共和国は武力による解放を目指し、南筑に進撃した。 国旗 主席宮に掲揚された人共旗 北筑中央通信 1951年1月4日 ついに我が共和国が南筑の首都にまで迫り、漢江戦車橋を爆破してみっともない敗走を始めた 我が共和国は統一する!朝鮮半島赤化統一の課業を達成するのだ! 南筑革命の日は近い! 軍事情報 人民陸軍装備 +... 人民海軍装備 +... 人民空軍装備 +... 人民軍特殊部隊装備 +... 人民軍特殊装備 +... 外交 同盟国 内容 ヴァーレス・イタリア人民共和国 軍事同盟 大幻夢社会主義共和国連邦 軍事同盟・不可侵・航空・海上航路開設 リクシリア労働社会主義共和国 軍事同盟 コメント:同盟・条約申請 「大幻夢社会主義共和国連邦」として和睦・不可侵条約・同盟締結をお願いします。 -- mugenteikoku (2016-09-16 00 26 04) 名前 コメント